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その時にこみ上げたものを糧に

ほぼ日の塾第5期生の募集が始まりました。
塾生の有志による「#ほぼ日の塾とわたし」のハッシュタグをつけてnoteを書こうという発案で、第2期生の自分も書いてみました。

まずは自己紹介

初めて私のnoteをご覧になる方のために、簡単に自己紹介をします。
台湾高雄生まれ育ちの台湾人。2006年に来日し、今年(2018年)で満12年になります。ほぼ日手帳を愛用し、時々コンテンツを読み、ほぼ日の「ことば」の数々が好きでした。

2016年の秋、ほぼ日の塾 第2期生に応募しようとする理由は2つ:
 1つ目は「日本語でなにかを書きたい気持ちが強かった」
 2つ目は「80人クラスの日は来日10年になる節目の日だった」

外国人だけど、参加できるかな?という心配もあったが、「いましかない!」と、参加したい一心で緊張しながら応募フォームを書いた締切の最終日は今でもよく覚えています。

80人クラスと実践編への覚悟

80人クラスの日は緊張しました。
まる一日の「問いかけ」で充実な時間でした。ほぼ日乗組員の方々への問いかけだけではなく、自分への問いかけでもありました。ここで何を聞きたいのか、考えに考えて、熱(体温)が上がりそうでした。応募する理由がそれぞれ違う人たちが集まったので、他の参加者の質問でまた違う世界が広がりました。

実践編への応募は覚悟が必要でした。
第1期生の先輩たちは大変でしたと聞き、仕事しながらコンテンツを作るのはできるのか?日本語が好きだけど、その日本語で何かを書くことは本当にいいのか?そもそも選考に受かるのか?有用と無用な心配をたくさんしたが、チャレンジせずにいられなくなり、参加を希望しました。

外国人でも大丈夫でした

外国人だとか、日本語が母国語ではないとか、そこについては余計な心配でした。見下されることはもちろんなく、かといって特別扱いもありませんでした。永田泰大さんをはじめ、乗組員たちは他の塾生と同じく接してくださいました。ほっとして、ちゃんとした気持ちで課題に取り組むことができた気がしました。そこがほぼ日の不思議なところでもあるかもしれません。

ほどよい緊張感、そして悔しさ

塾とはいえ、こうすべき、あーすべきと言われることなく、もやもやする相談や、こんなの質問になるかなと思う質問も快く受け入れてくれました。課題をやる上での決まりはあるが、「○○はダメ」という自由を奪うようなものではありません。雰囲気はゆるいけど皆は真剣そのものでした(塾生たちも乗組員たちも)。真剣に書いたものを真剣に読んでもらう、そんなほどよい緊張感のおかげで、塾に出る度に私は勇気をもらいながら進んでいたと思います。(恐らく塾では今までで自分が日本語で書いたものを一番真剣に読んでくださいました。)

次は「悔しさ」、これ抜きで塾生生活を終えた人はいないと思います。悔しさの理由は人それぞれですが、私の場合は「全ての課題に中国語を併記する」の意気込みが裏目に出て、三歩進んで二歩下がるの連続で、結局<私の好きなもの>の課題にしか中国語をつけることができませんでした。そして何より、「なんでもっとちゃんと書けなかったのか(≒なんでもっとちゃんと自分と向き合えなかったのか)」という悔しさを感じた人が多いと思います。

こみ上げたものを糧に

仕事と課題の狭間でもがいて2ヶ月強、ついに3つの課題を終え、実践編最終日のことはそこまではっきり覚えてはいませんが、帰り道に終電を逃したわけではないのに、私は最寄駅の2駅前で降り、30分歩いて帰りました。12月上旬の寒さの中、こみ上げた何かをクールダウンさせるため、こうするしかありませんでした。ただこの「何か」はこれからの私の糧になることは間違いないと確信しました。

塾を終えた後の感想アンケート、私は送りませんでした(ごめんなさい…)。その時の気持ちを言葉にしにくいのと、書いたら大切にしようとする「何か」がどこかに行っちゃいそうなので、もう少しだけ自分の中でじわじわと感じたかったです。ほぼ日の塾に参加したことは間違いなく自分の人生の中でとてもいい時間で貴重な体験で冒険でした。

第5期生にご応募を!

日本語がまとまらず、失礼しました。最後まで読んでくださってありがとうございます。「#ほぼ日の塾とわたし」で各期の塾生のnoteを読むといいと思います。それでも悩んでいるなら今すぐご応募をおすすめします。
では、いってらっしゃい!
(応募締め切りは11月12日(月)の午前11時です。)

日本語で書く台湾人です。 スキ、フォローとシェアが執筆のパワーになります。 サポートまで頂けるようなら、台湾関連のことに使います。