北米なんにもわからない問題

 ようやくインド沼を脱出して、最後の目的地南米大陸にたどり着いた。インドから東、東南アジアと中国、日本は飛ばすことにした。環太平洋は枠が空けばひとつ入れるかもしれない。オセアニアも飛ばす予定だ。

 中国と日本は自分が特に紹介しなくとも関心が高そうだし、東南アジアは乱暴に言って中国文化圏なので似ている。環太平洋は漠然としすぎているし、資料に乏しい。

 そんなわけで北米大陸の資料を読み始めたのだが、これがさっぱりわからない。わからない理由は大きく分けて二つあるので、それぞれ何がわからないのか書いてみたい。

無文字社会

 北米の人たちは(おそらく)無文字社会だった。スペイン人以前にヴァイキングが到達してただろとか中米文化と接触があった南部は違うとか言われそうだが、まあ大雑把にそう言って差し支えないと思う。

 そういうわけで、彼らの神話や物語が書き留められたのは16世紀以降の話になる。Fairytaleの想定年代である1300年前後のことは推測するしかない。記録されているいくつかは(全く同じ形ではなかっただろうが)1300年よりも前から語り継がれてきた話だと思われる。それらは文字以外の記録、例えば遺跡や壁画やマウントに残されているので、間違いないだろうということになる。それ以外は、ドゴン族のシリウスの神話の例を見てもわかるように、たとえ創世神話といえども後代の知識が混ざっている可能性は否定できない。

ヨーロッパ人との接触

 原住民たちの運命を決定づけたのは間違いなくヨーロッパ人との接触だが、北米大陸の広大さがそれを複雑なものにしているらしい。つまり、ヨーロッパ人が上陸したのは東海岸であり、東に住んでいた部族は物語を記録する間もほとんどなく壊滅するか伝統的生活を転換せざるを得なかった。また、カナダやアラスカなどの高緯度地域はその厳しい自然がヨーロッパ人の行く手を阻み、比較的長い時間、伝統的生活が保たれた。

 そんなわけで、北米を俯瞰してみると古い物語は北と西に多く残っている可能性が高い。

 また、ヨーロッパ人の入植は彼らの生活様式に決定的な変化を与えている。影響が大きいところで言えばキリスト教と馬と銃である。

 まずキリスト教の影響について、ある物語では「ノアが方舟でやってきたが、漁の腕がさっぱりだったので手助けしてやった」とある。これは間違いなく旧約聖書の影響だし、わかりやすいので見落とすことはないだろう。
 だが、別の物語では「蛇がそそのかして道を誤らせた」とある。資料の著者はこれも聖書の蛇の影響だと書いているが、キリスト教以前からこの部族の間で蛇が悪役(嫌われ者)だったかもしれない。もしかしたら著者はそこまで遡って調べたかもしれないが、断定はできないので検証の手間がある。

 馬と銃は原住民に新たな戦いと狩りのスタイルを与えている。16世紀以降の戦いの物語では『クー』という言葉がやたら登場する。これは武功とか武勲とか手柄のような意味で、彼らの戦いではこの『クー』をあげることが大事らしい。

 では、この『クー』を得る行為はどのようなものかと言えば、敵に素手で触ったり、クー・ステッキ(短い鞭の柄の部分)で触れたり、敵の馬を掠め取ったりすることでカウントされる。また、判定には目撃者が必要(馬の場合はそれ自体が証明となるため不要)らしい。

 この記述だけでも不思議な点が多くある。まず『クー』という言葉自体がフランス語の『打撃(Coup)』を語源とするらしい。また、多くの人が知気づくように、馬はヨーロッパ人が北米大陸に持ち込んだものが原住民にも神聖な動物として認知されたものだ。

 すでにこの時点で「ヨーロッパ人たちがやってくる以前は『クー』をなんと呼んでいたのか?」「馬を盗む手柄に相当するものはなんだったのか?」(これは、もしかしたらなかったかもしれない)「そもそも、これは戦いなのか?」という疑問が浮かぶ。

 原住民の戦の概念は、少なくとも今の知識の時点ではかなり混沌としている。

 歴史全体を通して、ある部族が全滅してしまうような全面戦争はあまりなかったらしい。これは北米の人口密度による部分もあるだろうし、ひとりの人間が減ってしまう負担が大きいことから暗黙のルールとして成立したのかもしれない。ただ、捕虜や奴隷という概念は昔からあった。

 しかし「今日は死ぬには良い日だ」という意気込みの彼らが、敵と対峙した後に「素手で殴りつけたり」「ステッキの柄で相手に触れる」ことで栄誉を獲得するのは不思議に見える。この部分だけを聞けば戦はスポーツ的なものであり、中世欧州のトーナメントを連想させる。なるべく人間の数を減らさないように戦をするという前述の精神にも合致する。

 話を一層複雑にしているのは、普通に戦死する人も出てくる点だ。ある物語では主人公が敵をクー・ステッキで触れて武勲を稼ぐ隣で、別の主要登場人物が弓と槍の攻撃で戦死している。
 つまり、同じ戦場でステッキでタッチするスポーツ的な戦と武器を交えた命のやり取りが同時に行われ、成立していることになる。しかも、タッチには目撃者が必要なのだ。

 槍や弓や銃で完全武装した相手(おそらく、殺す気概も十分にあるだろう)に殺傷力のないステッキで触りに行く行為が英雄的であるとしても、それならばこちらも同じく槍や銃で戦った方が理に適っている(なお、戦死は非常な名誉だと考えられている)と思うのは現代的思考で、彼らには彼らの戦理論があるのは間違いないのだが、これをどう解釈し、想像すればいいかはよく解らない。(物語では相手を「何人殺害した」ということが誇られることはあまりない)

 度胸試し、いかに危険なチャレンジを成功させたかでクーの大小が決まるというのはひとつの答えに見える。実際に「戦死した相手の身体に触れる」ことはクーが大きい。なぜなら戦死した人間には大変な敬意が払われ、何人もの味方が遺体を守るからだ。
 「そんなチャレンジをするならひとりでも護衛を蹴散らしたほうが戦に寄与しているのではないか?」と思うのは現代人で、彼らの戦は命を賭けた度胸試しの場と考えるのが、いまのところもっとも腑に落ちる結論だ。

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