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ゼミでやりたいことが見つかる?

ゼミ相談で、ゼミに入る意義を2年生から問われる。脊髄反射的に「やりたいことができる」と伝えることもあるけど、昨日の2年生には「やりたいことを発見するためにゼミはある」と話した。その2年生は本質的な問い、「そもそもゼミに入る意義があるのだろうか」とのっけから問うてきたからだ。

やりたいことを前提にゼミを選ぶアプローチは、実は、商学部では難しい。そういうアプローチは理系の方が適している。なぜならビジネスの経験や社会人としての経験が学生にないからだ。だから、「マーケティングをやりたい」程度が「やりたいこと」になる。そんなものは「やりたいこと」でもなんでもない。

この点、理系は小さい頃から接してきた自然の中から「やりたいこと」を見出しているので、ゼミ選びも具体的だ。例えば、「蟻はどうやってお互いのコミュニケーションをとっているのだろうか」「そもそも動物が群れる規模は何に規定されているのだろうか」などを起点にゼミが選べる。普通に生きていれば、自然は「やりたいこと」が見つかる宝庫だ。

その点、商学部で初めからやりたいことがある学生なんて稀だ。まあ、たまーにいるけど、そういう学生はだいたい観察力が鋭い。街を歩いても、店でショッピングをしても何かに気づき、自分でそこから「なぜ」を抽出し、その「なぜ」を自分なりに解明しようとする、私に言わせれば科学的な観察力をもっている。

多くの学生はそうではない。今日の通学路で発見した「おやっ」と思ったことを3つ挙げてくださいと問うても99%の学生はこたえられない。言い方は悪いけど、ぼーっとしているのだ。何も観ていない、観ようとしていない。科学とは、自分の周りの環境(あるいは内なる環境)から学ぶものであり、多くの文系の学生はそういう姿勢、センスを欠く。だから文系に来たのだろう。そして、科学的な姿勢、センスを欠くのにマーケティングがしたいなんて平気で語る。正直、何も分かっていないというしかない。

だからこそ、ゼミに入る意義があるのだ。やりたいことが何もないという状況に、自分はなぜなったのか。そうではない自分になるにはどうしたらいいのか。いわば、「やりたいこと」を発見する=やりたいことを発見できる自分に変わる場がゼミなのだ。もちろん、以上はゼミの理想論である。理想は現実によって常に弱体化し、現実を前に理想の高みから引き下ろされる。ただ、理想を忘れるとゼミは単なる会計のゼミやマーケティングのゼミとなってしまう。うちのゼミがあえて、◯◯のゼミだと認識されるのを拒否するのは理想を掲げ続けたいからだ。


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