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まんざらでもない世界にするために

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 期待していなかった人から期待していなかった親切をされると、「今の世の中まんざらでもないなぁ」と思います。また特別な人でなく普通の人が、見ず知らずの人に良いことをするのを見たときも「この日本もまだまだ捨てたもんじゃない」と思います。人目を引く大きなことでなくて、何気ないときに適切な小さな親切を見るとき、「まだこんな人がいるのか。世の中捨てたもんじゃない」と納得するものです。

 今どんな事件が起こるか分からない世の中になりました。ある小学校で「知らない人に挨拶をしてはいけません」なんて注意がなされているらしいです。事件に巻き込まれないためです。困っている人に声を掛けることすら、いぶかしがられることもあります。人と人との繋がりが本当に希薄になりました。だからこそ思いがけない親切に感動するのでしょうね。

 本文の「この世界に価値を与えるのは、人と人との間に生まれる愛。世界がわたしたちに価値を与えるのではなく、わたしたちが世界に価値を与えるのです」には大きく頷きます。わたしたちがこの世界に生を受けたのは、この世界になにがしかの良い違いをもたらすためです。わたしたちひとり一人が、自分の周りに良い違いをもたらしていく(人間関係に愛の種を蒔く、小さな善行を行う、ゴミを拾うなど、思いやりの言葉がけをする…など)なら、この世界に価値を与えることができるに違いありません。

 自分の家庭を、自分の学校を、自分の会社を、この社会を、この日本を、この世界を“まんざらでもない”ところとするのは、親でもなく、先生でもなく、社長でもなく、政治家でもありません。彼らをも含めたわたしたちひとり一人の責任なのです。責任とは何でしょう。それは「自分が源になる」ということです。わたしたちの継続した愛の働きが、“まんざらでもない”世界を造っていきます。

***参照聖句***
「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。マタイ13章31-32節

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