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愛と時間

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 僕が料理について言うべきことはありません。でも全ての領域において「費やした時間の中に愛がある」というのは真実だと言えます。

 愛するとは、愛する対象のために時間を確保することです。しかもその時間は心ここにあらずの時間ではなく、愛する対象に思いを込めている(マインドフルネス)時間です。

 伴侶を愛していると言いながら、伴侶のために時間を全く共有しようとしないなら、その愛は本物だと言えるでしょうか。子どもを愛していると言いながら、何かと理由をつけて子どものために時間を作ろうとしないなら、子どもを本当に愛していると言えるでしょうか?

 もう一度いいます。愛しているということは、愛している人(事柄)のために時間を確保することです。しかも愛している人(事柄)への思いを込めた時間を。

 と言っても私達には時間が無限にあるのではありません。だからこそタイムマネージメントが必要なのです。タイムマネージメントでの時間の定義は「連続して起こる出来事の出現」と定義します。ですからタイムマネージメント(計画管理)とは、「未来に起こる出来事を管理すること」ということになります。私達はタイムマネージメントで明日以降の自分のすること、出会う人を選択して管理することができます。そうなると愛する人たちの誕生日や運動会など、愛する人のために使う時間と出来事を事前に確保できますね。

 愛するとは愛する者のために時間を確保して使うことです。そう考えると、神は正に私達を決定的に愛してくださったことが分かります。神は時間と空間を超越した霊的な(4次元の)存在です。神の命も時間に制限されない永遠の命です。この神が人を愛し救いたいがために、時間と空間の中に入ってきてくださったのがキリストです。しかもキリストは時間に制限されない命を時間に制限される命に引き換えてくださいました。このようにキリストは私達を愛するがあまり、時間の中に入ってこられ、時間の中で神の愛を余すことなく現し、時間の限り十字架の苦しみの中を生き抜き、私達の身代わりとなって死なれました。ここに愛があるのです。

***参照聖句***
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。1ヨハネ4章10節

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