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帰国子女であるということ

今回も時差投稿です。

Year7のterm3はドバイのインターを休学して、中学受験をした中高一貫校に通っています。日本の学校に通うのも終業式を残すのみです。

海外からの帰国子女受験を乗り越えたにも関わらず、何とかなだめつつやっと通えたというのが本当のところ。

インターコース。帰国子女がクラスの2/3もいる環境でほぼ英語で授業が受けられ、海外大も目指せる。娘にはぴったりに思えた学校も、やはりベースは日本の学校。電車通学、土曜日も授業、大量のテストに課題、先生からのプレッシャー、そしてドバイのインターとの雰囲気や文化の違い。

帰国子女とは言え、大半が日本人。英語優位な子もいるけれど、日本語優位な子も日本でずっと育ってきた子もいる。一般受験の子も同じクラスなので、当然イングリッシュオンリーとはいかず、日本語で話す子も多かったり。

目に見えないpeer pressureを感じ、私は日本では息ができない、自分が自分らしくいられる場所で過ごしたい、大学は絶対に海外に出ると決めたものの、自分の目標を世界に向けたことで、また目に見えない存在にプレッシャーを感じ始めたのも一つ。

環境が変わり、コンフォタブルゾーンを出たからこそ感じた違和感、自分のアイデンティティや自分は日本でどう感じているのか、自分はどうありたいのか、他の人との違いをなぜなのか考えるキッカケになり、思春期という時期もあって自分の内面と向き合い、精神的に急速に成長している様子でした。

たった12歳の子供が戸惑いながらも一生懸命言葉にして話したい、聞いてほしいと伝えてきてくれました。大した不満もなく、大きな環境変化もない中で育ち、アイデンティティって?とずっとピンと来なかった私との違いに驚きでした。

葛藤はあるものの、幸い本当に良いお友達にも恵まれて楽しそうに過ごしています。

娘がドバイで過ごした時間は幼少期の1年10ヶ月5年生の半ばからの1年7ヶ月の合計約3年半。たったそれだけの期間しかいなかったにも関わらず、自分の第一言語は英語だと決め、私にも英語で話すようになり、つい自分の内面を語る言葉が英語になってしまいました。それだけドバイでの生活が圧倒的な影響力を持ち、娘のコアな部分を形作った場所だと実感せざる得なくなったのも今回。親子で違う言葉を話すこと、英語で捲し立てて感情をぶつけられても理解してあげられないこと。予想していなかった事態で衝撃的でした。

今まではまだぼんやりしていたことでしたが、ついに親としても娘の内面や将来に本格的に向き合わざる得なくなった時期に立たされていることに気づいた帰国となりました。

再びドバイに戻って、親として何ができるのか、どうサポートしていくのが良いのか、模索していきたいと思います。

一方で長く海外に住んでいても、日本文化に興味があって、日本人としてのアイデンティティがしっかり確立しているお子さんもいて、置かれた環境以上に、子ども自身の意思や興味、自分がどの環境にいる時に自分らしくいられるのかなどを軸に育っていくのだなと思う一面もあります。

日本人としてのアイデンティティのグラつきが、この後どのように彼女に影響してくるのか。今でなくてもよいけれど、いつか日本に目を向けて、自分のルーツを誇りに思えるようにもなるとよいなと考えています。そのためにも日本語の勉強もしっかりサポートし、日本の文化も大切にしながら歩んで行きたいと思います。

親が通ってきていない道を子供が歩んで行くというのは、とにかく情報を集めて知ることから。そもそも今何を学んで行くのか、これから進みたい方向に向かうのは何が必要なのか、どれを選択していくのかを一つ考えていかないといけないということ。何をしたいのか、何が得意なのか、何にフォーカスしていくのか、まさに考えている最中。入り口に立ってみて、本人にとっても親にとっても挑戦の始まりだと感じます。

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