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【ネタ365day day224 原初の望み】



物事の本質を理解しようとするときに、人間の原点にタイムスリップすることが多い。

氷河期にマンモス追いかけてたときとか、森でどんぐり拾って生活してたときとか、まだ人間が自然と共に生きていた時。

今回はどんなことで人生に満足していいものか、自分の中に新しい基準を作るために潜ってみた。

何日か前の投稿で、「その程度のことで」喜ぶ人生にしようと思ったのがきっかけ。
なにかステータスとなるもの、他人から見てもいいものを得たときに嬉しいものだと思いがち。それでは手に入らない方が多いし、手に入った瞬間だけ満足して終わる。そして次の満足を探して彷徨う。
この思い込みから抜け出すには、深い理解で根底からひっくり返したかった。

朝。これまでは目覚めと共に一日の嫌なことや不安が押し寄せて来ていた。
原初の人間はどうだっただろう?
真っ暗で天敵もいる夜を超え、生きている、心臓の鼓動だけで幸せだったはずだ。いつ死ぬかもわからない野生の状態では、生きているだけで幸せだった。
なら、現代の人生の不安はあれど、根っこではもっと喜びを感じていてもいいはずだ。生きているだけで100点だ。

健康的なものを食べれていないと健康について思う。
けれど、原初の人間は腹いっぱい食べ物が食べられることに満足していただろう。

原初の人間は行きたいところにたどり着いただけで、安全に来られたことに喜んだだろう。ましてや帰り道も無事に戻れたなら。

ひとつひとつ原初の人間と今のわたしを照らし合わせていく。
そうすると、人生の基盤は盤石であることがわかる。不足なんてひとつもない。

わたしはいつも人生が不安だった。何がというわけでもなく、漠然と大丈夫なのかと、いつかダメになるんじゃないかと、こころが落ち着かなかった。

けれど、いまこの瞬間生きているだけで、生き物の人間としては満点なのだ。
その上で、現代で感じたい感覚があれば望みを放てばいいが、どんなことでも望む感覚は原初の人間のときと同じなのではないかと思う。

もっと単純に、感じたい感覚を望み続ければいいのだ。



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