「平和都市宣言」について、貴方は何を知っていますか?(1)

多分、「平和都市宣言」の正式名称を言える日本人は多くないと思う。
広島原爆の日を迎え、今一度「平和都市宣言」について考える。
ちなみに、記事タイトルに対する私の回答は「よくは知らない」だ。

「平和都市宣言」とは何か?

駅前や市役所、役場前などに「平和都市宣言」の看板や碑が立っているのを見た事ないだろうか?
日本の自治体の9割近くが平和都市宣言を採択している。
自治体が重要視する政策課題などを取り上げ、自治体運営の方針や政治的主張をアピールするのが「都市宣言」だ。
では、「平和都市宣言」は平和を重要視し、平和であらんとアピールしているのか?と言うと、ニュアンスが少し異なる。

実は、「平和都市宣言」は略称だ。
本来、「非核平和都市宣言」「非核」が付く。
日本において「非核」「核」「核兵器」の事を指す事が多い。
一部、民生用の核利用装置である原子力発電所設置をも認めず、「非核」の対象とする自治体もあるようだが、多くの場合「核兵器」に焦点を当てている。
つまり、「核兵器をわが自治体に持ち込ませない」とのアピールだ。

日本の非核平和都市宣言の走り

日本で最初に「核兵器を持ち込ませない」と宣言した地方自治体は1958年の愛知県・半田市で、これは世界でも初の「非核自治体宣言」であった。
ただ、この時代はまだ「非核」と「平和」をワンセットにして都市宣言とする発想が無かった。
そこで1993年に改めて「非核・平和都市宣言」を採択している。

日本で「非核平和都市宣言」が地方自治体で広まったのは、1981年、イギリスのマンチェスターが Nuclear Free-zone 、つまり「非核地帯」の宣言を行った事に触発されて以降のようだ。
冷戦時代の終わりに近い時代だが、東西両陣営の大国であるアメリカとソ連の軍縮交渉が停滞した事を端緒として「核兵器が実際に使われるかも知れない」との懸念が高まった。
世界が滅亡するまでの時間を示す「世界終末時計」でも、1980年から1988年に掛けては滅亡まで切迫していると評価されていた。

世界終末時計とは?
核兵器の凄まじい威力を知った科学者が、第二次大戦後に核戦争へ突き進みかねない状況を憂慮し、世界にその危険性を周知させる事を目的として作られた時計。
原子力科学者会報の表紙に描かれたのが初出。
本物の時計のように時間を測っている訳では無く、残り時間0秒を世界滅亡とし、世界滅亡のリスクが無い状況を15分前とするならば、現状の危険性はどの程度世界滅亡に近いのか?を示すもの。
当面の危険が去った場合は針が戻る。
現在は核戦争危機に限らず、自然環境の悪化など多様なリスクを考慮し、ノーベル賞科学者など複数の専門家たちの助言を基に年一回、残り時間を決めている。

時間泥棒・作

イギリスなど欧州の反核運動が日本にも波及し、非核宣言を行う自治体が増えて行った。
1980年代以降、「非核平和都市宣言」と「平和」を入れるところが出始めたようで、略称の「平和都市宣言」の方が耳馴染みある人も多いのではないだろうか?

次回は、「平和都市宣言」を出す意味と現実問題としての効果について考える。

<了>

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