「東日本大震災で民主党はよくやっていた」との妄言を斬る

令和6年能登地震における岸田政権の震災対応を批判したくて堪らない勢力が一定数いる。

熊本地震との比較で能登地震対応を足りないと主張する人達。
これは適切でない数字の比較による誤認が中心だ。

 「岸田総理は何をやらせてもダメ」

との先入観を抱いた人が、迂闊な比較論評に流された結果だと推察する。
だが、更に認知の歪んだ勢力まで存在しているのだ。

 「東日本大震災では民主党はあんなによくやっていたのに」

と本気で思っている人達が一定数いるようなのだ。
ハッキリ言うが、普通じゃない。
2011年の政治状況を正しく認識している人ならば、こんな評価になるはずが無い。
パラレルワールドから飛ばされて来た可能性を検討せざるを得ない程に、認知の歪みが甚だしい。


先ず解答を。岸田政権はよくやってる

1月3日、岸田総理を始め、馳浩石川県知事、自衛隊の初動についてざっくりまとめた日経新聞の記事が此方。

この記事中の図表を引用する。


上掲 日経記事から引用

岸田総理の動き

  • 発災1分後 官邸 危機管理センターに対策室設置

  • 発災5分後 首相が関係省庁に対応指示

  • 発災28分後 松村防災相、林官房長官 官邸入り

  • 発災66分後 首相 官邸入り

  • 発災約4時間後 防災相トップ 特定災害対策本部設置

  • 翌2日 午前9時23分 首相トップ 非常災害対策本部設置

この初動を見て、まだ

 「岸田総理の初動は遅かった!」

と言い募る人は、具体的に何が遅かったのか指摘するべきだろう。

特定災害対策本部、非常災害対策本部について

人によっては、

 「大きな被害が出ているのは明らかなのだから、即時に特定災害対策本部、非常災害対策本部を設置すべきじゃないのか?」

と考えるかも知れない。
だが、災害対策法制においては、先ず

 市町村に第一次的対応責任がある

のだ。

誤解しないでもらいたいが、これは都道府県、国の怠慢を意味しない
市町村には、

 責任と同程度の権限も与えられている

のだ。
特定災害対策本部にしても、非常災害対策本部にしても、その設置は同時に市町村が既に持っている権限を制限する事をも意味する。

なので、設置に際しては現地からの情報を極力集め、慎重な判断を行うのだ。

 「早ければ早い程良い」

とのイメージは完全にその意味について誤解している

「特定非常災害指定」「激甚災害指定」について

此方も災害対策本部設置と同様、その意味を誤解している人が少なくない。

  • 特定非常災害:指定されると行政手続等の猶予発災時に遡って適用される

  • 激甚災害自治体が行う復旧事業に対する国庫補助率を引き上げ、財政的な負担を軽減する

激しい被害に見舞われた地域において、行政手続きが現実的に難しくなった人達に、期限の猶予を与える事で被災者を救うのが「特定非常災害」指定だ。
これは当然、行政手続きをする必要に迫られている人が対象であるし、手続きをする先が通常業務を行える状況になってから特に効果を発揮する。
つまり、行政機関も日常業務を行い得ない程の被害を被っている状況にあっては、指定だけ急いだところでその恩恵を受ける人はほぼいないのだ。
発災時に遡及適用される事からも、急ぐ必要が無い。

「激甚災害」指定については更に急ぐ必要が無い。
目先の復旧事業は、激甚災害指定の有無に関わらず、実施されるのだ。
その費用負担が後に軽減され、国庫補助金として自治体に入る。
やるべき復旧工事は随時行われているはずで、激甚災害指定を待って復旧事業が始まる、なんて事はあり得ない
また、その指定に際しては、復旧事業の予算規模の情報が必要となる為、官邸がどれだけ焦った所で、被災自治体側からの情報が上がってくるまで待つより無い。

「特定非常災害」も「激甚災害」も、

 国として「これは大変な災害規模だ」と認定して上げるもの

との漠然としたイメージだけ持ち、「早ければ早い程良いはずだ」と無邪気に信じる人達がやたらとせかしている。
彼らはそう誤解した上で、正しい情報を提示されても確認してくれないからタチが悪い。

こうして一部界隈は、ファクトチェックする事無く、延々と「遅い遅い」と政府に言い募る事になる。

激甚災害指定を急ぎ過ぎた失敗例 東日本大震災

このように語っても、

 「でも、東日本大震災では『激甚災害』指定は発災翌々日だったぞ!!」

との反論が出るかも知れない。
発災翌日に「激甚災害」指定の閣議決定、翌々日に公布されている。
だが、これは通常手続きをすっ飛ばした上に、混乱が混乱を呼ぶ「やるべきじゃなかった例外措置」の見本なのだ。

本来、激甚災害指定は、自治体からの災害復旧事業費の見積もりが出た後になされる。
そして、中央防災会議の了承を得て、激甚災害指定は政令として発令される。

菅直人内閣は、この手順をすっぽり抜かしてしまった。
急いで激甚災害指定を閣議決定で通したは良いが、「中央防災会議の了承を得なければ激甚災害指定できない」と言う制度の問題にぶち当たってしまった。
ちなみに中央防災会議の会長は総理大臣が務める事になっている。
一方で総理大臣が行政手続きを無視し、激甚災害指定を無理やり通そうとした結果、自分がトップを務める行政手続きの承認機関が機能不全を起こしてしまったのだ。

そこで、今度は中央防災会議に関する条文を無理やり変更し、
 中央防災会議の会長の専権事項について、報告のみとし、中央防災会議の承認は不要とする
とした。

つまり、総理大臣が根拠無しに決めた話を、本来の承認機関から権限を奪ってまで、総理大臣権限で誰も文句が言えない形に後から捻じ曲げたのだ。
日本は何時から独裁体制国家になったのか?

ここまで法治を揺るがす程の場当たり的独裁行為に走った上で、東日本大震災の激甚災害指定中央防災会議の事後承認を得たのは、なんと発災から9カ月も経った12月にずれ込んだ

閣議了承、公布までが早かったから何だと言うのか?
行政手続きとは、それぞれ事前に権限と義務が与えられ、問題が生じた際にはその責任を明確化する意味をも持つ。

普通の手続きに従えば、1~2か月で中央防災会議の了承を得て激甚災害指定の手続きは完了する。
東日本大震災の激甚災害指定は、菅総理、官邸の暴走であり、完全な失策と言わざるを得ない。

民主党政権の東日本大震災対応を褒めるのは、実務面でも実効性の面でも全く以て話にならない暴論なのだ。

岸田総理を評価出来ない人達の認知バイアス

結果を以て原因認定にやっきになるのは、非論理性の典型

誤解無きよう予め伝えておく。

私は、今回の岸田政権の令和6年能登半島地震の対応について、

 対応の早さ、各組織における災害派遣の規模、災害支援のパッケージ全般

などは十分評価すべきものだと考えている。

一方で、今現在、被災され厳しい状況に置かれた人に対し、
 「つべこべ文句を言うな」
なんて事が言いたい訳じゃない。

また、被災者の苦境に心を寄せ、その中で政府対応の改善点は無かったのかと検証する人達に対しても、
 「そんな事はするな」
なんて言いたい訳じゃない。

震災はまた必ず起きる。
その時への備えとして、さまざまな段階において検証はなされるべきだ。

私が問題視するのは、

 結果から遡り、ありもしない時の政府の落ち度を認定する態度

なのだ。
具体的には、

 「被災から何日も経っているのに物資の足りない避難所がある。政府が支援物資を小出しにしているせいではないか?」

 「孤立集落が解消されない。政府が派遣人員を絞っているに違いない。政府はきっと、震災規模を見誤っているのではないか?」

 「ボランティアの被災地訪問を頑なに拒否するのはおかしい。政府や県にとって知られたくない不都合な真実を隠す為ではないか?」

のような主張を生み出す態度の事だ。
これらは、当人的には

 論理的で妥当性ある推論

のつもりで語っているのだろうが、完全に穴の開いた非論理的推察だ。

何故これらが邪推だと言えるのか?

答えは簡単。

 「地方の主要道路が崩落、土砂崩れなどで寸断」

されていて、

 「非主要道路は山間を縫うように作られていて、主要道以上に酷い有様」

になっているからだ。
先述した岸田政権の震災対応への疑念はこれだけで説明が付く。

能登半島の地方主要道は、

  • 能登半島付け根から輪島市方面へ伸びる「のと里山海道」

  • のと里山海道の途中から能登半島先端の珠洲市へ繋がる「珠洲道路」

  • 能登半島の形状に沿って穴水町、能登町、珠洲市、輪島市を環状に繋ぐ「国道249号」

この3つの道路全てがズタズタになってしまったのだ。
人員を派遣しようにも、道路が繋がって無ければ派遣しようが無く、無理に人員だけ押し込んだとしても道路復旧の目途が立たなければ、派遣人員の生活物資も足りなくなる。
そして、それだけ無理して送った人員も十分な重機が無ければ人命救助や復旧作業に活用できない。

「物資の足りない避難所がある」
「道路啓開が届いてない地域だから」

「派遣人員が足りない。戦力の逐次投入だ」
「道路啓開が届いてなければ人員派遣出来ない。そして、啓開が進むにつれ活動可能エリアが広がり、派遣人員を拡大したと言うだけ」

「ボランティアを入れようとしないのは何故だ」
「道路啓開作業の邪魔になるから。道路啓開が済んでない地域に無理やり入られると、支援物資を消費する側が増えてしまう。水もガソリン、灯油も自衛隊の定期運搬で何とかやってる地域に、自己完結力の低いボランティア訪問は事実上、要支援者の増加と同じ」

だからこそ、自衛隊の初期動員も「道路啓開」作業に多くを向ける事になったのだ。

非論理的思考で政権批判する人達の共通点

被災者の状況を見て、

 「この苦境を何とか出来ないのか」
 「政府は一体何をやっているのか」

との憤りを覚える事は、人としての優しさ、同情心から来る発想として、否定するべきものでは無いだろう。
だが、妥当性の低い推論で政府の落ち度を認定したがる人達は、ここで政府や県の公式見解「何故出来ないのかの説明」を真剣に聞く気が無いのだ。

彼らの思考は、これまで刷り込まれた先入観によって

 「政府・行政への猜疑心、不信感」

で一杯になってる。

 「政府対応が不十分に見える」
がイコールで
 「政府にやる気がないからだ」
と直結してしまってる。

 「政府対応が不十分に見える」
が、
 「実は、政府としてやれる事は既に手を打っている」
と言う彼らにとって「不都合な真実」は何回説明されても理解出来ないのだ。

認知バイアスを抑え込むロジカルシンキング(論理的思考)

認知バイアスは論理的思考を蝕み、知らず知らず間違った論理建ての思考に流される。

しかも、認知バイアスは誰にでも起こるものだ。
人間が何かを考えようとすれば、決して逃れる事は出来ない。

我々に出来る事は、思考する前に
 「如何に認知バイアスを低減させるか」
に気を配り、
 「今現在の自分の推論が、認知バイアスに冒されていないか」
を注意深く自問自答するくらいだ。

今回のケースで言えば、
 結論から遡って原因を求める時、本当に十分な可能性の吟味を行ったか?
を問い直すべきだ。

個人的にどう思うか、何処が悪いと認定するだけならば、論理性も無く、「とにかく国が悪いんだ!」と思い込む事を否定出来ない。
それは内心の自由の範疇にあるからだ。

だが、ひとたびそれを世間に問う、SNSと言う公共の場で晒したならば、非論理的主張はその非論理性をあげつらわれ、批判される事になる。
また、そこに特定の個人、組織への強烈な批判が混じるならば、その発言の責任を取らされる可能性、刑事、民事で訴えられる可能性まである。

それ故、SNSでの発信に際しては、個人の思い込みを極力排除し、論理的思考を極力保った主張を行う必要が全ての人に求められる。

注意して欲しいのは、私は
 「なんでもかんでも政府が悪い」
と短絡的に考える事を批判しているのであって、
 「政府を批判してはいけない」
なんて事は言っていない。

周辺事情をきちんと押さえた上で、論理的に正しい結論として
 「政府のここがおかしい」
との結論を導いたのならば、事実そのように発信すれば良い。
但し、そこでも自分が認知バイアスに冒されている可能性を考慮し、それを否定する声に対しては、真摯に耳を傾けるべきだ。

そして、逆に
 「政府のここは正しい」
との結論を導いた場合も同様だ。自分の見落とした情報を誰かに指摘してもらえるかも知れない。
どんな結論を導いた場合でも、可能性は常に広く構えておく事が大事なのだ。

まとめ

2011年の悪夢の民主党政権を忘れ、岸田政権の批判材料として
 「民主党政権はよくやっていたのに」
と発想する人に対し、率直に言えば恐ろしさすら感じる。

だが、人とは常に誤解する生き物だ。
認知する事の大半は誤解なのだ。

ある時点で認知の方向性を認知バイアスで歪められたが最後、その後にどのような種類の情報に当たっても、最初に作られた認知バイアスに合致するよう、後続情報を歪めてしまう。
その歪みを自覚出来なければ、何処までも実態から懸け離れた虚像を大きくして行く事になるのだ。

なので、我々がここですべき事は、

 民主党政権時代を素晴らしかったと言い出すのは、認知の歪んだ愚か者

とこき下ろすのではなく、

 認知バイアスに気付けなければ、自分も何時ああなるか分からない

と他山の石とする事だ。

日々、情報に接すると言う事は、日々、情報バイアスの種を摂取している事と同義なのだから。

<了>

菅直人政権が福島第一原発事故で何をやらかしたか、今一度確認するための記事が此方。
池田元久氏は、民主党にあって脱デフレを唱え続けた議員。
自民党山本幸三議員(アベノミクスの生みの親)とも超党派による脱デフレ議連で共闘した人物でもあります。


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