【怪談】ハリガネムシ

この話をしてくれたのは、神奈川県の高校で日本史を教える山南さんだ。
「私、サーフィンが趣味だったんですよ。その為に神奈川の教員になったし、配属先もずっと海沿いを希望していたんです」
そう言って笑う山南さんだったが、その顔がすっ、と暗くなった。
「まあ、今は辞めちゃったんですけどね……」
確かに、山南さんはE市の先生だ。
決して海に近い街ではない。
なぜなのか、その理由がこの話にまつわる出来事だった。

遡ること6年ほど前の秋のことです。
私は週末になると海に繰り出してサーフィンを楽しんでいました。
当時はF市に配属され、ロケーション、海、共に最高でした。
浮かれていたんでしょうね。
いい波が来ていると、ついつい夜中まで……なんてこともありました。
その日も気が付いたらあたりは暗くなっていて……。
やっぱ暗くなると片付けも大変だし、何より危ないので慌てて帰る準備し始めたんです。
そしたら……自分のいる場所から50mくらい離れたところでしょうか……そこに何かが動いていたんですよ。
なんだろう……なんて思ってそっちにライトを向けました。
そうしたら、そこにいたのは……たぬきだったんです。

「たぬき?」
話の途中、思わず私は聞き返してしまった。
浜辺に佇むたぬき。
それはなんというか……ちょっと面白いかもしれない。
「はは、私も同じ反応でした。ちょっと不思議で面白いですよね……ええ、はい……普通なら……」

珍しいな、すごいな、なんて思って、思わず近づいてしまったんですよ。
普通だったらそれで逃げちゃうじゃないですか。
でも、そのタヌキは、こちらのことなんて気にせず、トコトコと歩いていって、そして波打ち際まで10mくらいのところで、じっと海を見つめ始めたんです。
その光景は、さらに私の関心を引きました。
思わずね、見入ってました。
このタヌキはこれから何をするんだろう、って。
そしたらね、始まったんです。
それが。

そこで山南さんは、息を細く吐き出す。
額には冷や汗が浮いていた。
「大丈夫ですか?」
そう言って、私は彼に水を差し出す。
そのコップに注がれた水を見ながら、山南さんはひくり、と頬を動かした。
じっと、水を見つめる彼に、私はなぜか海辺に佇むタヌキの姿を被せてしまった。
それは、先程までのコミカルな絵面ではなく、酷く、歪な、不気味なものだった。
「……ええ、大丈夫、です。続き、続きですね」

10秒くらい、経った頃でしょうか。
タヌキが不意に、歩みだした。
海に向かって一歩、一歩と。
それはすごくぎこちなくて、抵抗しているような、そんな感じでした。
でも、確実にその歩みは近づいていて……。
ついに、その前足が波に濡れたんです。
その、瞬間でした。
バチンって、硬い何かを引きちぎる、そんな音が聞こえたんです。
いや、あの光景をみたから、きっとそう思うんですね。
斜め後ろにいたので、わからないですが、おそらく、頭か、喉元辺りの肉が弾けたんですよ。
弾けて……それが飛び出してきた。
黒くて、うねっていて、血にぬらぬらと濡れたそれ……。
それがタヌキの身体からゾロゾロ、ゾロゾロと這い出て、海に流れ込んでいく。
波にのって、ウネウネ、ゾロゾロ、ウネウネ、ゾロゾロ……。
それは、何匹もが絡み合って、形をなしていた。
最初は、うなぎか蛇なのかと思ったが、ちがった。
ねえ、時月さん。
ハリガネムシ、しってますか。
あのカマキリに寄生する。
あれですよ。
あの時、海に這い出ていったのは、それです。
それが、何匹も何匹も、タヌキの身体にどうやって収まっていたのか、分からないくらいの量と大きさのハリガネムシが、這い出てきたんです。

「それからです、私がサーフィンをやめたのは。それ以来、恐ろしくて恐ろしくて、はは、川にも近づけない。風呂に入るのすら、水を飲むのすら、怖いんです」
その言葉に、え?っと思う。
話を聞きながら、私は、確かに自分の喉が乾いていく感覚を悟っていた。
ただ、だからといって水を避けるほどだろうか。
山南さんだってそうだ。
通常、ハリガネムシは哺乳類に寄生することはない。
だが、そのような明らかに埒外のものならば警戒するのはわかる。
恐怖も感じる。
だが、別に、そのタヌキを捕食したわけではないだろう。
少し黙ってしまった私に、山南さんは、乾いた笑いを漏らす。
「その後ね、私、気絶しちゃったんですよ。目を覚ましたら、周りは、溺れるほどではないけど、すっかり水浸しで、頭までずぶ濡れで、そして、なにより……真横に、あの、タヌキの死骸があって……もしかしたら……」

私にも寄生しているかもしれない。

山南さんは、名言はしなかったがその青ざめた顔が物語っていた。
ゾッ、っと、今度こそ、私の背中に悪寒と、鳥肌が立つ。
山南さんは言葉を続ける。
「タヌキってね、大体、平均寿命は6~8年くらいらしいですよ。あのタヌキも、デカかったし、ソレくらいだったのかもしれない。アレが、そのぐらいで成長しきるとしたら……病院には行きましたが、何も映らなかった。ええ、そうですよね生物だとは思っていない……でも、だからこそ、怖いんですよ」

話の締めくくりに、山南さんは、こう言っていた。

「最近ね、また、海に行きたいんです。あの、湘南の海に」

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