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今を無理やり言葉にしてみる。

半年前の8月、会社を休職することになった。

自暴自棄になった僕は、夜中に田舎の農道を自転車でゆっくりと走ることが日課になっていた。

と言っても、15分ほど走って、コンビニに着く、適当にお菓子を買って、食べながら家に帰るだけだ。

日付が変わってしばらくし、やっと眠りにつくと、昼間にノコノコと目を覚ます。

今の僕の状況がわかるわけもない小学生の妹と遊び、また日が落ちては自転車に乗る。そんな1ヶ月を過ごした。


それが今はどうだ。

こんなに素敵な人達が周りにいる。

こんなに大好きで、大好きで、心の底から、出会えてよかったと思える人達が。

それだけじゃない、
僕はそんな好きな人といる自分が好きなのだ。

こんな僕に出会ってくれて「ありがとう」と言いたい。

こんな僕にハッシャダイソーシャルの役割をくれて「ありがとう」と言いたい。

こんな僕にproject:ZENKAIの役割をくれて「ありがとう」と言いたい。

こんな僕が「会社を辞める」といった時に「いいじゃん」と言ってくれて「ありがとう」と言いたい。


でも、たまに、

「これは、俺にしかできないことなのか。」
「俺が、やっていいことなのか。」

「俺よりも、もっと、もっと、出来る人がいるのにな。」と思うことがある。


自分は何も持っていないことに気づく。

それは「お金」とか「フォロワー」とかの数字で表せれるものじゃなくて、

目上の人と、高校生の皆と、うまく話せるわけじゃない。
与えられた仕事を、テキパキとこなせるわけじゃない。
あっ。と驚かれるようなデザインを生めるわけじゃない。
見返したくなるような写真をカメラで撮れるわけじゃない。
のだ。

それがここ数日ぐっとこみ上げてきて、苦しんでいた。


先日、ついに溢れ出て、涙が止まらなくなったとき。
目の前に宗ちゃんがいた。

「今のたいむ、最高や。」
「たいむにとっては最低だけど、最高や。」

19歳の今、「自分の価値の無さ」という悩みを抱えていることに対して、こう言ってくれた。

普通は、「辛かったね」「そんなことないよ」などというのが筋だろう。

だから改めて、宗ちゃんは俺の師匠だと思った。

そんな人に出会えているのだ、
そんな人が、
そんな人の周りの人たちが、

「こんな俺を使ってくれているのだ。」


俺は将来、
「たいむにしかできない。」
「たいむにだから任せられる。」

と言ってもらえるような人になりたい。

そしてそんな人になれた日、
「そういえば、あの日のたいむ、あんなことで泣いていたな」と、

酒を片手に、

大好きな人達と、

ゲラゲラ笑う日を迎えたい。



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