情報の齟齬:トイレには行かない方がいいんじゃないかなぁ、というお話

 トイレには行かない方がいいんじゃないかって話なんですけどね、ちょくちょく通っているところに新しいトイレができていたら、本当にそこの人が建てたんだか確かめてから入らないとダメなんじゃないかって気がするんですよ。

 話を持ってきたのはAさん、会社員なんですけどね、今の時代めずらしく右肩上がりの業績を出している会社でやりがいもある、上司も仕事を任せてくれてがんばるぞー!って気力が充実しているんですけど、やっぱり24時間休みもなく働けるでもなく、休日も有給もしっかりとって心身ともにリフレッシュして、で仕事に打ち込む人なんですけど、趣味は山登りだって言うんです。
 山登りと言っても重装備をして難易度の高い山に登るのではなく、ハイキングコースで登れる高い山あちこちに行く山好きでして、連続して休めるなら足を伸ばす、一日二日の休みだったら近場の楽しめる山に行く程度なんだそうです。
 その日も休みの日に、何度も行ってなじみ深くなった山に向かいまして、電車の終点からバスで数十分、歩いて数時間の山に行きまして、ふーふー言いながら舗装された道を登って行きまして。
 途中は特に何もありません、いつも通り風景を楽しんで、あぁもぅこんな季節になったんだなぁと仕事を忘れて山を楽しんでいたんですけどね、ふとトイレに行きたくなった。
 トイレのある場所まであと一時間くらいか、それまで保つかなと考えて歩いていたら、トイレが見えてきたんです。
 あれこんなところにトイレが出来たのか、へぇ、と思いながら男子用トイレの中を覗いてみると、造作が綺麗なんです。なるほど出来たばかりなのかと。
 個室が三つあって見てみたら、両端はちょっと汚れているんです。
 マナーの悪い登山客がいるなぁと少し怒り、少し悲しんで真ん中に入りまして、ズボンを下ろして用を足して、でここまで来た疲れもあって、緊張を解いて大きなため息をつきましたら、外から一人駆け込んできて、奥の個室に入る音がする。
 あの汚れ具合が気にならないのか、それだけ切羽詰まっているのかとぼんやりしていましたら、その奥の個室から
「おぉ!久しぶりだな!」と、ちょっと大きな声が聞こえてくる。
 電話でもしてんのかと。掛かってきた音はしなかったから、こっちから掛けたのかなと聞いていたら、「元気だったかよ!今なにしてんだよ!」と声が続く。
 本当に電話なのかな?と思っていたら、突然反対側の個室から声がして
「おぉAか!久しぶりだなー!」と聞こえてくる。
 え?いつの間に入ったんだ?と思うのですが、奥の部屋に意識がいったときに出入り口側の個室にも誰か入ったのかな?とそこは考えたんですけど、Aさんがいる真ん中の個室を挟んで両脇で会話が始まったんですよ。
「大学出てからさー、なんとか建設会社に入って苦労したよ。でも今では駅前の再開発任されてさー」
「へえ、どこの建設会社だよ」
「a建設だよ」
 と会話が続くんですが、ちょっとちょっとちょっとと。
 Aという名字が同じなのはただの偶然だと思えても、会社の名前がaで建設会社でってとこまで自分と同じなんですよ、さらに任されたという駅前開発も自分の担当区域でそこまで偶然があるもんかと、で驚きながらも話を聞いていたら予算とか入札価格とかまでしゃべっているんですけど、それは微妙に違っているです、でも会社の機密事項までしゃべっているからAさんもう大慌てで、ズボン履いて「ちょっと!あんたたち!」と扉を開けて出てみたら、両脇空いてるんです、誰もいない。それどころか最初に見た汚れ具合もそのまんまで、誰もいた形跡がないんです。
 Aさん驚いちゃって、山で不思議なことに遭遇したらそれ以上深入りしない方がいいだろうと思って、そこから引き返して家に帰ったんだそうです。

 ここで終わればただの山の怪異譚、タヌキに化かされたんだろうで終わる話なんですけど、続きがありまして、

 しばらくして業界の懇親会がありまして上司から行ってこいと言われて出席しまして、初めて会う業界大手b社の人と名刺交換をしましたら、
「あぁ!a社のAさんですか!お名前はかねがね伺っております!」と結構強めに言われたんで、駅前再開発の仕事がそんなに有名なのかな?と思ったらそうじゃなくて、
 Aさんの勤めているa社のライバル会社c社の一人が、仕事で訪れていた役所でトイレに入っていたとき、外から声が聞こえて、
「おぉ!久しぶりだな!元気だったかよ!」
「おぉAか!久しぶりだなー!今なにしてんだよ!」
「大学出てからさー、なんとか建設会社に入って苦労したよ。でも今では駅前の再開発任されてさー」
「へえ、どこの建設会社だよ」
「a建設だよ。いま駅前再開発の仕事を任されてさー」
 と世間話が始まって、耳をそばだてて聞いてみたらc社でも気になってる、a社が今やってる駅前再開発計画で、聞いていたら規模も予算も想定価格も全部喋ってる、聞けてラッキーとほくそ笑んで、声がしなくなってから社に戻って「これこれこういうことがありました」と報告して、a社の裏をかいてやろうと動き出したら値段が全然違って大失敗、そんな話が業界に流れているって教えられたんですよ、
 Aさん(ぎゃー!)と。
 そんな噂、Aさん全然知らなかったし、a社の誰も聞いていないんじゃないか、誰も言ってこなかった、大慌てで会社に戻りまして上司に報告しまして、
「課長、知ってましたか?」
「いや、知らん」てやりとりから部長から役員から全員に報告しまして、
「私じゃありません、私は知りません!」と力説して廻ったそうです。
 仕事上の予算だのコストだの、ハッタリでも嘘でも言うもんじゃないって会社ですし、こういう罠のし掛けかけたはやっちゃダメだろうって認識がありましたからね、幸いなことにc社から抗議されることもなく、業界の動向としては
「裏を取らなかったc社が悪い」ってことで落ち着いて、Aさんa社が非難されることはなかったようなんですが、二度三度起こったらどうしようと警戒しまして。
 でもまぁ今のところ二度目は起きてないようで(変なこともあるもんだな)で済んでいるようなんですが、
「いや、あのときは焦りましたよ。トイレで妙な体験した以上に焦りました。山の神様だかタヌキたちが、いたずら心を起こしたんだか、私のことを助けようと思ってくれたんだか解りませんが、街には街のやり方がありますからね、一応また山に登って、山頂にある神社に感謝はしつつ、二度は結構ですと柔らかくお願いしておきました」

 ちなみにトイレはその後もちゃんとあるそうです。

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