相葉君の歌は聴けたんだよね

3.11、今日この日に震災について語るのは罪深いような気がする。

当事者じゃないのにそれを語るのはなんというか、許されない気がする。誰に許されたいのか分からないけど。

でも私が思ったことは、感じたことは事実なんだから、それを大きすぎるものに変換しなければいい話で。

ともかく。

9年前のあの時から数週間、日頃聴いていた曲が聴けなくなった。嵐だけでなく、私のウォークマンに入っていたいつものプレイリストが耳障りに感じました。全然ついていけないんだもの。

あの毎日は疲れましたね、ほんとに。実家が流された同級生もいました。すぐ隣に想像しきれないほどの悲劇があって。信じられなくて、考えることにつかれて、私は逃げ場を欲していたと思います。両親に会いたかった。庇護されたかった。あの心細さは忘れられないです、あのとき私の心は不安定だった。

シャッフルで流れてくる曲を1,2秒でスキップするのを繰り返していたら、相葉君のソロ曲が聞こえてきました。

すごく自然に心に入ってきたんですよね。聴いていられた。心の拒否反応が出なくて。あれは不思議だったなあ。

すごく優しい声をしていることに気が付きました。当時の私は寮生活ということもあり嵐のお茶の間ファン未満で。それまで元気いっぱいで天然ボケな相葉ちゃん、のイメージしか持っていなかった。

繊細で温かくて、決して心の中に無理やり踏み込んでこない遠慮深さ。を、感じて、とてもリラックスできました。確かにあの時、相葉君の声に助けられました。それを忘れたくないなと思って。

無事に実家に戻ってから、春休みに見た『ひみつの嵐ちゃん!』の特別編での、精一杯の夢と希望を込めたパフォーマンスとか。『嵐にしやがれ』で「果てない空」を披露するメンバーの切実な表情とか。誰もがきっと、あのとき迷っていたと思うんだけど。嵐は先陣を切って立ち上がってくれたアーティストの内のひとつで、確かに救われました。

忘れないで、私。

ちゃんとエンターテイメントに助けられましたよ。

宮城で開催されたBlast in 宮城は勿論だけど、節電を考慮した演出で行われたBeautiful Worldは本当に美しかった。空に向かって手を伸ばして歌う「遠くまで」、忘れられません。24時間テレビでの吹奏楽部の演奏と松潤の指揮。力強く美しい音に涙が止まらなかった。その他にもあらゆる番組の企画で震災と復興に寄り添ってくれましたね。

「大丈夫、海は光っている」

国民的アーティストとして、背負わされるものはとても大きく、時に大きすぎるのではないかと勝手に心配することもありました。

でもその度にしなやかに受け止め、誠実に寄り添ってくれました。

大丈夫、大丈夫、

傍で手を握り、背をさすってくれる温かさがありました。

少なくとも私にとって、嵐の生み出すエンターテイメントは割れそうな心にも寄り添ってくれる存在でした。

今日は何だかそれを、忘れないようにしたいと思って。

書いた次第でございます。

これから先も、この思い出をお守りのように持ち歩きたいと思っています。