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ただの“仲良し”では越えられない荒波があるー嵐×ONE PIECEコラボレーションに見る景色

背を向けて拳を突き上げる、横一列の仲間たち。
この画だけで自動的に涙が出てくるのだ、ONE PIECEのアラバスタ編履修済みであるならば。

2020年1月4日の0時に解禁された『A-RA-SHI : Reborn』Special music video

嵐のメンバーがアニメになったのは、『ナイスな心意気』でこち亀の主題歌を担当した際のアニメ出演(あれはほぼ顔写真だったけど)、『Believe』のタツノコプロ版MV、『Japonism』ツアーでのスクリーン映像も含めれば少なくとも既に3度。アニメ化自体が目新しいわけではない。

しかし、コラボ相手が麦わらの一味ともなれば話は別。

嵐の5人が尾田栄一郎先生のタッチで描かれ、ルフィらと共演する。興奮するなという方が無理な話で。

だって、あまりにも正当すぎる。

いや、待ってほしい。「あ?」と。図々しいとお思いだろうが、私が嵐に何を見てきたって、やっぱりその絆なのだ。

”絆”。

この一文字、私としては鳥肌が立つほどザワつくものでもある。

うすら寒いではないか。

学級目標にこれを掲げるような担任を白い目で見てきた。そんな理想論、傍迷惑。全員が明るく楽しく物事を運ぶのは無理難題で、大抵は集合写真の一番前で寝そべるような奴とせいぜいその一列目が「うちらってサイコー」と思っているだけで、二列目は控えめに微笑み、三列目は沈黙し、その端に至っては憎しみさえ抱いている。

クラスで築いたつもりの”絆”は、主に三列目の沈黙によって体裁を保っているに過ぎない。

ONE PIECEにあまり良い印象をお持ちでない方・今まで食指が伸びなかったという方も、このうすら寒い絆センサーが反応していたのではないだろうか。ともすれば嵐の「仲良しグループ」という世間評価にも、おなじような不信感を抱いてきた人もいるかもしれない。

分かる。

私もそう思っていた。

明るくて、楽しくて、みんな大好き!

それが全てを支配する世界観なのだろうと。

しかし今声を大にして言いたい。

ちゃうねん、と。

関西出身ではないが、まだ知らぬ人へ伝えたいという愛と勢いを持ってしたらこうなるのだ。

ちゃうねん!!!

まず、嵐も麦わらの一味も、共に船に乗り込んだとはいえ元々気の合う仲間たちではない。

ハワイの海上でデビューした嵐は当時半数が辞めたいと思っていたそうだし、麦わらの一味も、航海の目的はそれぞれ。常に喧嘩をしているようなソリの合わない船員もいれば、深刻な敵対関係から思わぬ形で長旅を共にすることになった仲間もいる。

さらに。どちらも順風満帆とは言えない旅路だ。これはもう無理なのではないかという局面に幾度となく対峙してきた。それらは決して理不尽だけからなるものではない。進む上での絶対条件であることも、臆病も、力不足も、価値観の違いもある。

ルフィらの場合その困難は物語として描かれるが、嵐の場合はいくらファンでも知り得ないことばかりだろう。だが週刊誌やSNSで辛辣な言葉を浴びせられるのは我々の知る所日常茶飯事であるし、時折垣間見える芸能人としての生きづらさも想像に難くない。知り得る中で挙げるなら、現代では眉を顰められるような過酷なロケ企画もしてきたし、会場を埋められず黒幕で客席を潰すことも。病気やケガに悩まされることだってあった。

私が参加したコンサートツアー5×20の最後の挨拶で、相葉君がこのように発言していた。

「楽しいことばかりではなかったけど、そういうのも乗り越えて――いや、乗り越えたのか、その下をくぐったのかよくわからないけど、その場をみんなで手を繋いで渡れたりして」

思い出や美談にするにはあまりに深く、生乾きの傷もあるかもしれない。お互い誰にも言えない悩みもあっただろう。しかし、きっと黙って手を繋いでここまで歩いてきたのだ。その関係性に、彼ら以外の誰が言葉を尽くしてもピタリと来るものはないかもしれない。ただこれを、”仲良し”で済ませるのは腑に落ちない。

彼らはかけがえのない仲間、同志だ。

ずっと同じ船に乗り、良い日も悪い日も共に過ごしてきた。

その稀有な絆。でもこうあるべきだよな、と思わされる。互いを尊重し、人として認め合う。意見の違いも、価値観の違いも受け入れ合う。

このしなやかで憧憬してしまうほどの絆を、私は嵐にも、麦わらの一味にも見てきた。だからこそこのタッグに興奮し、拳を突き上げる背中に胸を熱くした。

さて。

とはいってもONE PIECEは物語である。なんやかんやと言っても結局は勧善懲悪で、ルフィはジャンプの主人公らしく困難の波を乗り越えパワーアップし天下を取るのだろうと。そうお思いの皆様へ。

ちゃうねん。

今度はダンディーな渋さをもってお伝えしたい。

……ちゃうねん。

力をつけ、経験と自信も手に入れたルフィたちは、ここぞという場面でとてつもない挫折をした。

今、思い出して泣いています。

激しく動揺し絶望するルフィの姿は、およそ我々の思う明るくておバカな彼とは思えない。当時の読者も同じように動揺した。あまりにも話題沸騰したためこの展開は周知の事実かもしれないが、詳しくは触れない。だって読んでほしいもん。

この挫折から、彼らは次の船出をするため下船し、各々数年間の修業期間に入る。

重ねすぎるのも良くないとは思う、思うさ。だって嵐は物語じゃない。現実の、生身の人間の人生なんだから。

現在連載中のルフィのビジュアルを見ていただければわかるが、彼は胸に大きな傷跡を抱えた姿でカムバックを果たした。

このカムバックが嵐のメンバーにとってどのような形になるのかは分からないが、それぞれの人生にとって出来れば朗らかで温かい、喜びに満ちたものであることを祈っている。

MVのラスト。コンサート会場から出航する嵐のメンバーを、大勢のファンと共にルフィをはじめとする麦わらの一味が見送る。(会場の親子席とおぼしき場所には例の最強の親子も鎮座しているので心の底から嵐ファンでないワンピファンにもMVの視聴をおすすめする)

このシーンはやはり、いくつもの荒波を越えて旅をしてきたルフィたちが、船旅の先輩として嵐の新たな旅立ちを温かく見守ってくれているようでグッときてしまう。

2020年、この1年。ファンにとっては嵐が存在しない世界への旅支度の1年になる。その最後に、飛び立つ嵐をこんな風に温かい気持ちで送り出し、私も旅立つつもりで会場をあとにしたいものだ。

ラストシーン。桜の舞う大海原をゆく船。

この景色がどれほど現実と重なるだろうか。

最後ばかりに気をとられて申し訳ない。それでもやはり、一つの章の区切り。伏線としてとるならば、その背中をしっかりと目に焼き付けたい。