2021年1月1日の私へ

こんにちは。
こちら、2020年の1月5日の私です。
怒涛の正月番組を最高画質で録画する闘いを終え、今は寂しさに満ち溢れています。
寂しい。
だってもう、半纏姿の嵐の5人が「あけましておめでとうございます」と言う姿を当分は見られないんだから。
この大地に爪を立て、地球の自転を止めたい。
そんな気持ちでいっぱいです。

いまのところ、夕方に観た相葉マナブが心の支えです。

ああ寂しい。なんて無力なんだ。

こうしている間にも、嵐との別れの日が刻一刻と迫っています。
少しでもその温もりを腕の中に残そうと、大事に大事に抱え込んでいたはずなのに、隙間からサラサラとこぼれ落ちてしまいました。

今日のあなたには、何が残っていますか?
後悔でないことを祈っています。

この文章、恥ずかしいですか?
はっはっはっはっは

情けないことに、「応援しなきゃよかった」と思う日がやってくるのが怖くて震えていました。
一生好きなものなんてそうそうないし、しかも彼らは生身の人間です。私が変わることもあれば、彼らが変わることもあって当然でしょう。

でも、そんな日を恐れて遠目に見ているのはもうあんまりにも勿体なくて。
だって好きなんです、少なくとも今は。少なくとも今は!
この好きを、今は全力で肯定したい。
一つでも多く、今の思いをとっておきたい。
同じ形の心で思い出をなぞれる日は二度と来なくても、このとき、どういう思いで何を信じていたのかを丁寧に採集してピンで綺麗に留めておきたい。

そんな思いから、このnoteをはじめました。

これは『生身の人間にハマったオタクのための避難経路作成の手掛かり』になり得るかもしれません。

嵐という、2020年1月現在における超ビッグコンテンツが終焉かもしれない一時休止を決行するにあたり、ファンという存在もまた未だかつてない軌道を描くことになるでしょう。
何言ってるか全然分かんない?私もかっこつけすぎてるなとはおもう。

大前提として私はファン代表じゃないけど。
ファンの一人ではあります。

これから一体どういう思いを抱くことになるのか。
どんな1年を過ごすことになるのか。

「ほう、こういうのもあるのか」
という程度に、チームの関係性や個人の人間性に期待がかかった現代の“アイドル”と、その消費者行動を目撃するのもそう悪くないのでは。

極力素直な気持ちを書きます。
プレゼン記事ではなく、これはきっとドキュメンタリーです。
何にもならなくても、せめて嵐が活動休止したのちの私へ、暇つぶし程度になればいいなと。

あわよくば何かしらの役に立てばいいな。
過剰に誠実さが求められる時代にならないように。

さて、私へ。
今の私は、しんどいなあと思いながら嵐についていこうとしています。
肚は据わっていません。