もうあとがないんだ

もはや世界的流行となりつつも、相変わらず毎朝地下鉄に乗っているしそこにはマスクをしていない人もるし昼の街には春休みを謳歌する大学生もいる。それなりに客の入っている居酒屋の窓と疲労感漂う薬局のすっからかんの棚を見るとどれが正しい認識なのかよくわからなくて、なんとなくマスクをして手洗いをこまめにし、トイレットペーパーでも何でも、まだストックのあるものを慌てて買わないよう心掛けている。私に出来ることなんてそれくらいだ、分からんけど。

嵐の北京公演が中止になった時にはまだこんな日々ではなかったな。

コロナウイルスめ。

さて、大阪での展覧会も休館、さらに休館延長となりました。

先日のインスタライブ(非常に微笑ましかった)でも、国立の公演をできるように準備をすすめてはいるが、どうなるのかは僕らにもまだ分からないと松本の潤氏からお話があったとおり。五月か。非情ながらも、普通の開催は無理なんじゃねぇかなと思ってしまうのが正直なところ。オリンピックだってどうなるか分からないし。

ああ、こんなふうに流されてしまうなんて。

ときめきで目一杯に飾り付けようとしてくれた一年が、もう三か月近くも「どうしたらいいかわからない」まま流されてしまうなんて。

歯がゆい思いは誰しも同じだろう。

仕方のないことだし、そこに怒りはないけれども、なんとなく悲しい。

全部全速力で駆け上がらなくてもよい、不可抗力の重りはある意味でありがたいような気もしている。だって頑張りすぎだもん。

それでもなすすべのないままなのは空しい。

もしも、もしもオリンピックが中止になったらどうなるんだろう。

とりあえずAKIRAは売れる。

「嵐の活動休止も一年延期になるんじゃない?」

と、言っている人がいましたが。それはないだろうし、約束通り休んでいただきたいと思う。2年も前に申請した休みが通らないなんて労働基準法違反にもほどがある。

もしも、今嵐が思い描いているものが世に届く前に期限が来てしまったとしても。

あ、時間なので。といって、定時上がりしていただきたい。私もアンコールを催促せずに客席を去るつもりだ。そんな残酷なことは出来ない。

一日一日静かに削り取られている。頼むから、せめてこのまま静かにやってくれよ、コロナウイルス。それ以上騒いで邪魔をしないでくれ。こちとら別れの儀式の後半戦なんだ、もはや。

自粛する、しないの議論じゃなくて、延期を嘆くことくらいは許してやってほしい。延期が続いたその先にデッドラインがあるので。よろしくおたのんもうします。