脳味噌破裂するような(19)

 鬼が、後ろ手にドアを閉めて鍵をかけながら言う。
「お前は洗脳されている」

「セン……ノウ?」

 何を言ってる? 何なんだ、こいつは?
「考えてもみろ
  お前、自分がこんなところにいるような人間だと思っているのか?
 お前にはもっとしたいことや好きなことがあった筈だろう?」

「え……?」
振り返ろうとするが、銃の気配を感じて、やめた。
 彼も引き金に指を掛けたまま。
「メイドさんだってそうだろう?
 あんなにたくさん、どうして働く?
 そうしてお前に忠実なんだ?」
「それは……」
僕に訊かれても困る。

 お前がやったんだろ……?
「嘘だね」
「嘘だよ」
当然のように、しかしうろたえながら彼は言う。
「信じると思ったんだけどな」
「そんなことある訳ないもんね」
彼の顔を見ながら、そういうことを言ってみる。
 そう言えば、精神医学の知識なんか、彼は持っていた気がする。
 本当だろうか……? いいや、本当だと信じているのだろうか?
 洗脳だなんて。
「洗脳なんて嘘だ
 あんなものはまやかしに過ぎんさ
 あったとして、それを実現出来る技術など持っていない
  ……開発中だがね」
「嘘だろ」

 ふっ、と笑って彼は頷く。
「しかし、それに近い状態は存在するさ
 彼らのことだがね」

 彼ら……?

「あいつら、どうしてそこまでセックスにこだわるんだと思う?
 主体性と引き替えに出来るくらいだからな、多分、その為になら何でも犠牲に出来るんだろう、彼らは
 逆説的にではあるが、自己の価値を引き下げることで、そういった犠牲に見合うものまで、セックスの価値を高めようとしているのかも知れないな、相対的に」
「聞きたくない、気持ち悪い」
「うん、あいつらって気持ち悪いし、質問に答えてくれないから、追い詰めて問い掛けながら殺すんだけど、どうしても答えないんだよな……
 殴りまくっても」
「うん? 聞き間違い?
 ……気持ち悪いのはお前なんだけど?」
それにしても、いつまでこの話続けるんだろう? こいつ。
「あ、そう
 あいつらはその十倍はイッてるね」
「見たことないから分からない」
「グロ過ぎるから近づけさせなかったの
 バロメーター振り切れるくらいあれなの、彼らは
 ガチであれ」
「お気遣いどうもありがとう」
「うん? 声が小さいな
 でもいいや、迷惑にならなかったなら
  嬉しいね、喜んで貰えるとこちらとしても」
 それはそうと、と彼は椅子をいじり、続ける。
「殺すと答えが得られないみたいな意見もあるみたいなんだけど、でも、大量にいるからな、そういう奴ら
 大体同じような理由で行動しているんだろうし……
 っていうか規格品的というか、量産型って何で同じ振舞いしかしないんだろう? 思考回路まで誰かの焼き直しみたいな感じなんだろうか、っつぅか本当にあいつら脳味噌使ってるのか? 大体あいつらの言うことややることなんて事前に手に取るように分かるよ、その気になれば俺だって出来るくらいで、こう、小声で、表情の無い顔しながら、お前ら何でそんなに恵まれた感じでいるのに俺達のことなんかゴニョゴニョ、とね
 若しやすると、あいつらゲーマーだったケースが多いようだけれど、いつか自分がゲームのキャラクターでプログラムされた通りに動くものなんだと信じ込むようになったんじゃないかな?
 ……そう思っていた方が楽だとか
 いや、ゲーマーばかりという訳でもないか
 しかし、どうしてそんなことが言えるんだろう? セックス原理主義者って」
「もう、どうでもいい」
テーブルの席に僕は着いた。
 彼もまた、椅子に座った。
「僕の前に座らないでくれる? 気持ち悪いから」
「そう言うと思った」
そうして、少しだけ席の位置をずらした。
 座るのかぁ、こいつ……。

「ど、どうせ、どうせ……」
どうした、とでも言いたげに彼が首を傾げる。
「どうせ、席に着くというのなら
 せめて、もう少し横に移動してくれないかな?」
「……何で、そんな泣きそうな感じなんだよ
  別にいいだろ、一緒に食事するくらい」
そう言いながら、椅子を鬼はずらしてゆく。
 食べる? 食事? こいつと?
「なんて屈辱的なんだろう」
「……もっと他に言い方あるだろう」
「HOLY INSULT!!」
鬼は溜め息を吐きながら腰を下ろす。
「武装カルト宗団とは近い関係にあるらしいな……。彼ら仲良いもの
 この前も一緒になって踊りかかってきたよ、ある隊に。そんなことがあったから倒れている間は大変だった
 銃撃なんて受けるものじゃないね」
「ふん」
彼は身を乗り出す。
「ふん? ふんって何だよ
 俺の真似か?
 だったら歓迎だぜ、いつからファンになったんだ?」
「関係無いよ、ふん」
「俺の、真似をするなっ! この妖怪ぷにぷにほっぺっ!
 その頬、こうしてくれるっ!」
「――誰が妖怪だっ! この鬼仮面めっ! やめろっ! 触んなっ! きめぇっ!
 このグロテスク大ホモ野郎、やめろっ! 僕は同性愛差別者じゃないけど、お前はホントやだっ! 気持ち悪いんだってばっ!
 やめろっ!」
「あっはっはっ! 俺がホモだなんていつ決まったんだ? 敢えて否定はしないが
 別に差別主義者じゃないんでね」
「このっ、グロテスクオオホモモドキめ
 どこぞの探検隊にでも捕獲されて食されてしまえばいいんだっ!」
さいっていっ! と言いながら逃げようとすると、ドアがノックされた。
――鍵のかかっていた筈のそれは、向こうから開かれてゆく
  料理を運んでくる、メイドさんがいた。

――そうして、それは彼女だった
 メイド長の彼女だったのだ、僕がいつも一緒にいた。
 銀色懐中時計のあの鎖が、腰のあたりから伸びている。
 間違いなく、彼女だった。
 車での旅を伴にした。

「あれ?」
思わず、声が出た。
「ふん、お前、言っただろう、近衛兵だって
――そう易々と壊すようなことする訳ないだろう」
「ふん」
何でそんなに嬉しそうなんだ、とか彼は言うが、気にしないことにする。
 彼女がこちらに歩いてやってくる。
 随分、いい香りがした。

――純白のエプロン、頭の上にはカチューシャ
 そうしてフリルの付いたメイド服。
 髪は艶やかに光を照り返し、肌はきらめく程白く、常に姿勢が良く歩き姿も涼やかな、そんな彼女だ。
 清潔な服には綻び一つ無い。
 
「どったの?」
「――給仕を言いつかわされて来ました」
「いや、こいつがメイドさんにひどいことしたって
 それでもう二度と立ち上がれないくらい痛めつけたって
 めちゃくちゃに……」
「それが仕事だからな」
「別に、何ともないですよ」
そう言いながら、焼き立てなのか、香るパンを、テーブルに彼女は置いてゆく。
 緑野菜のサラダ、スープ、それからメインディッシュの肉、……きっとデザートもあるだろう。
 何だか、それまで食べていたものよりも、豪勢に見えた。
  錯覚かな?

「それにしても、どうしてあいつらイキりたがりの奴ばかりなんだろうね
 男性ばかりというか、男だけでかたまっているというか」
「食事のときには聞きたくない」
彼女がテーブルの上に食器を並べてゆく。
 ふっと、エプロンのかけられてゆく感触が妙に懐かしい。
――その間にも、ナイフやフォークが揃えられてゆく
 手際が良い。
 鬼の話とは対極的に……。
 こいつの話はスパイスとは真逆の性質を併せ持つ、何だろう、念能力か何かなのかな?
「自称IT系エリートとか、自称モテ系ミュージシャンとか、自称雰囲気イケメン系言い様の無い何かとか、自称系列ばっかりだもんな
 あれはあれで自己同一性を確立しようとする過程にあるのかも知れないな
 ――若しかすると酔いどれてイキりながら寿司箱持って居場所の無い家に帰るみたいなステレオタイプなおじさんに進化していたのかも知れないな、彼らは
 暴力的な奴らに従っていることも多いんだが……、大人しいってのは彼らにとっていいことらしいね
 時折、他人のことを見下したような目で見るよ、彼ら」
鬼の腹が鳴り、メイドさんの動きが止まる。
 僕も動きを止めた。
 本人は気にしないのか、まるで気付いていないとでも言うかのように、
「――インフレかデフレか」
と呟いた。
 ……何だろう、スルーされたいアピールなのかな?
 仮面の下の顔を見てみたいものだ。
「お前、今、お腹鳴ったよ」
と、僕が言うと、彼は手を振って応えた。
「今、お前、おなか」
「うるさいな」
メイドさんがくすっと笑うけれども、彼が何かを仕出かすことはなかった。
 紅茶が淹れられる。

 誤魔化す為だろう、注目を集めようとでもするように彼が指を立て、やや声を大きくする。
「あいつらの」
と、話を切り出して。
「女性ってのは何でも表情が無い、訊かれても何も答えないし、自分の意志を持たない
 言わば飼い慣らされた犬だな
 沈黙が語ることもあるってのはああいうことを言うんだろうな」
それで話が終わったとばかりに、彼は椅子に深く腰掛けた。
  もう話すつもりがないということなのだろう。

「お前も、メイドさん達を集めたじゃないか」
と、僕は言ってみる。
 ……彼女の方を窺い見るも、気にする素振りを彼女は見せない。
 彼は黙っている。
 男女平等とか言っていたけれども、やっぱり、女性を集めていたじゃないか、恐らくはいかがわしい目的の為に。
 それに対して、彼は応えない。

 いきなり動き出すと、ナイフとフォークでステーキを扱いながら、そのまま食らいついた。
 ……仮面の下半分は着脱式になっていたのか、いつの間にか横によけられていた。
 汁を吸いこむような音や、咀嚼するような音が響いている。ずっ、と彼は顔をあげて布巾で口を拭い、仮面を付け直した。
 ものの一分も経たなかっただろう、肉は無くなっていた。
――まるで、飲んだみたいに中へと流し込まれていったらしい
 そうして無理矢理というように、仮面の奥へと水を入れ込み、ジョッキいっぱいのそれを、飲んだ。
 大きなジョッキは空になっていた。

「どう思う? いや、ってかあれか
 あれは自然発生的なものだから
  男達が欲しい欲しいって言うから作ったけど、いつの間にかメイドさん達だけになったな
――どうでもいい」
「ふぅん」
物悲しい気持ちになった。
 ……嫌いな男、それも食べ方の汚い男と対面で共にする食事程嫌になるものはない。
 気持ち悪い男と共に食べるなんて、嫌だろう? と、小声で口に出して呟くも、それが聞こえた素振りを彼は見せない。
 多分、涙目になっていた僕へと、メイドさんが眼差しを送ってくれる。
 優しげな……。

 大分嫌いな男と食事をしたなんて、屈辱的だった。
 大嫌いだった。
  気持ち悪い、どうして、こいつが、僕の、斜め前とは言え、前にいるのだろう。
 食事のときに。
 不快だった。消して欲しかった。
 ――こいつを消せ
 誰かにそう命令したかった。

 けど、それはこいつが死んでないせいで……。
 この男の姿を、テロの被害者が見たら、何と言うだろう?
――首を鳴らす、男……
 汚かった。

 暴力的で、汚い、そうして、時折性的な目線で見てくる、……これは、有罪、恥を知るべき、有罪的なもの。
 これに殺されたのか、恐らくは大義の為でなくして。
 それでも、見なかったことにして、……そのまま食べることにした。
  メイドさん、作ってくれたんだもん。
「何で泣きそうなんだよ?」
デリカシーの無い問い掛け。
「それ……、僕に言うの?」
わざわざ、あんな食べ方してたからだよ、とその状態を僕に説明させるの?
 この、鬼さんは……?
 嫌だなぁ。

 彼は席を立つ。
「これでも気遣いが出来てね、俺は
――お前が嫌がるのは分かっていたつもりだ
 だから、早く食べ終わったんだ」
なんて押しつけがましいんだろう。
 くだらないことをして、くだらない話をして、何がしたかったのか?

「それと、別のアジトへ移動することになるだろう
 ……準備しておいて欲しい
 色々見せたいものもあるしな」
恐らくは重要なこと、それをどうせ言わないし。
 しばらく、僕はメイドさんと話をして、気を晴らした。あいつ、あれで気を遣っているなんて言うんだぜ、とか、あんなディスしてたけど自分はモテる自慢みたいなことを言っていたこともあったんだぜ、とか。
 概ね、彼女は笑いながら聞いてみたいだ。
 そういった彼の側面について知らないみたいだったし、きっと興味も無かったのだろう。

 不思議と、食事は熱を失っていなかった。