脳味噌破裂するような(16)

 フォールス・メモリー、偽りの記憶が錯綜し、絡み合い、解きほぐれ、そうしてまた形を変え、樹木の影を作り為す。
 それらにより編まれた道、その上を通り過ぎ、颯爽とした緑の野へ僕は抜けてゆく。
 ……きっと新しい、そのはずの光に、照らされた。

 随分、視界が薄ぼけていた。
 じっとソファに座っていると、段々、現実から遠退いてゆきたいと意識が訴えてくるから不思議なものだ。
 あたりには何もない。本はあるし、ミネラル・ウォーターもあるけれども、基本的には何も無いと言ってもいい部屋だった。
 そこに、僕は置かれていた。
 拘束されたのだ、あのテロリスト集団に。

 結局、北海道へ向かう途中、捕まったのだった。
――車ごと集団に囲まれ、投降するように言われた
 ノン、そう答えたが、まぁ、そのまま連行されることになった。
 彼女は無事だし、一緒だった。

 何もされなければいいけれども。
――彼女のことは好きだった
 そうでなければずっと一緒にいるなんてしなかっただろう。少なくとも、一緒にいて不快に感じるようなことはなかった、そういったことを彼女はしなかった。
 毒にもならず、害もない、攻撃的な意見をぶつけてくることもなければ、いたずらに煽ってくることもない。いずれにせよ、彼女といつどこで会ったにせよ、きっと一緒にいただろうという、若しくはいることが出来ただろうと思うような子だった。
 そう思った。
 そのことは、けして、恐らく変わらないものだったことだろう、覆らなかったに違いない、その思いは。
 そういう訳で抵抗したし、仮面の男が生きていると思われているらしいことをネタに、脅迫しておいた。
 それはそれは効果覿面で、随分と彼らはタジろいていた。南無三、死して尚利用されるとは……。まぁ、しかしあのテロリスト野郎にはそういうところは感謝しておくべきなのだろう。
 しかし、元を正せば、といったところだろうか。

 波風を立てるな、と言った者を彼は銃で殺していたが、そうやって反逆者を気取り、最後には殺され……。
 誰にも看取られない。

 閑話休題、あるアジトに僕の身柄は引き渡されることになった。恐らく、彼女もそこにいたのだろうが、それを確認することは出来なかった。
 そうして、ソファのある部屋に、僕は置かれた。

 そこには本以外にも色々なものがあったし、暇を潰していることが出来た。
 何もない部屋、……それはそう、そこには何も無かった。
 一応、物が置かれていたにせよ。
 それらはどこか人工的な配置のされ方をしていた。
 自然さ、というか、生活感のようなものが排除されているのだ。ぎっしりとカラーボックスに入れられた本は、その高さがほとんど均一で、背表紙の色ごとに截然と区別されている。厚さも大体同じ物が集められていただろうか? 傾いているものもなければ、本立てもない。
 埃を被ってはいるが、如何にもどこかに置かれているもの達を集めましたという感じで、塗したようにそうなっているのであって、誰かが手に取っていたり、新しいものを入れたりしていたなら付くはずの、手垢のようなものが認められない。埃の付き方にある種の乱雑さが欠けているのだ。
 冷蔵庫も静かで、ずっと長く使われているものなら当然あるはずの、モーター音の乱れや、内部の部品の立てる騒音がない。
 それでも、角にシミが付いていたり、コンセントが汚れていたりと、どうやら古いものに思えたけれども。
 ソファも、弾力を失っていない。

 中央に置かれた丸テーブルも、黒色で、部屋全体に馴染んでいない。

 ここには一応、それらしく装ってはいるものの、“部屋”らしさが欠けているのだ。

 壁に貼られた装飾、カレンダー、スタンドライト、クッション、……そういったもの達が、過剰であったり、欠けていたりする。
 出来合いのセットにいるような気持ちにさせられた。
 そうして、それにどこかである不安を喚起させられずにはいられないのだった。

 何か、仰々しいというか、作り物じみているというか、演技臭いというか、どこか劇的なところがあるといったような。
 それでも三文芝居の舞台小屋でもなければ、もっとずっと部屋は部屋らしく、歪でありながら人間の生活を感じさせる空間であるものだけれども、そういうセットが設えられているけれども、ステージ上には……。
 すると、ここは楽屋か何かであっただろうか?
 現実世界では先ず滅多に見掛けられないような人達がそこから出てきて、またそこに戻ってくるといったような。
 昨日か一昨日には、メイクした誰かが入ってきて、何食わぬ顔であの椅子に座ったのではなかったか? あるいはもうすぐ……。しかしながら鏡も無ければ、化粧箱も無い。
 そうだ、この部屋には何か、用途性のようなものが欠けている。
 目的意識が無い、……牢屋ならまだ檻が付いていて、監視と軟禁の役割を果たしていると分かる。
 そうだ、昔、刑務所にいた人の話を聞いたことがある。確か、いつどこでだったろう、あるいは人伝いに聞いたのかも知れない。仮面の男に拘束された後のことだったろうか。
 刑務所の部屋というのは画一的な作りになっているそうだが、暇を持て余した囚人達が石を削って物を作ったり、筋トレをして独特の雰囲気を醸し出したりするので、あれら部屋々々はどうにも個性的なんだと、そういう話をどこかで誰かがしていただろうか?
 それならば、あの、画一的な部屋にも、生活感のようなものが漂っていることになるのだろうか? それは確かに、刑務所は人間の生活している場なのだと言われたら、そうなのだけれども。
 しかしながら、そうばかりではないとも、思う。
 逆説的かも知れないが、それはただ人を閉じ込める為の場でもあり得るのだ。近代的な牢屋だからこそ、生活が保障されることにもなる。
 そうだとして、ここは牢や留置場として相応しい場だろうか?
 誰かが意図的に部屋らしく設えたらしい部屋、部屋らしくすることによって、生活する為にあるような雰囲気を纏いつかせることによって、何をしたかったのだろう?
 僕がここで生活をするとでも?
 何だろう、この違和感は。
 設定……。
 それは誰かが求めた、ということか?

 まぁ、それはいい。
 僕はただ、ここにいるしか出来ないのだから。
 待つ、というのでもない。精々、暇を潰す、くらいだろうか。
 ずっとこの部屋に居続けることしか出来ない。
 銃殺されたら嫌だなぁ、と思う。

 あの男、殺しちゃったから、殺されても不思議ではないのかも知れない。
 しかし、テロリスト達がどう物を受け取り、何をするかなんて、まるで分からない。

 彼らはある意味で自律的に動き、そうして集団的に行動してゆく。規律が取れていると言うより、無機的に、群個体的に動いているようなところがあったから。
 あった、……過去形。そうだ、過去形、あいつら、過去形で語られる何かになったんだ。
 日本の中で勝手に居場所のようなものを作り、そこで甘い蜜を啜っていた奴ら。
 ある意味で腐敗していた何か、あるいは腐敗したものに集っていた蠅のような者共ら、そうしていることによって何か、利益を得ていたのだろうか、……甘い蜜を啜っていたとか言っても、結局、それがリスクやコストに見合うものだったのか、わざわざ行動を起こしてまで手に入れるに値するものであったのかと問われたなら、……恐らく、大半の人はそうではないと答えるだろう、テロリスト達の立場に置かれていたとして。
 あぁ、頭悪いなぁ、どうして日本でテロなんかやっちゃったんだろう。自分が害を受けるまでは、その行為のリスクを理解出来ない人なんだろな、きっと、やり始めたのは。
 どこの誰とは言わないけれども。
「どうせならもっと別のことすればいいのに」とか言っていた人をカッターナイフで切り殺していた誰かさん、そんな奴、いればの話だけれども。
 あれは非-実在物、そんなことを友達と一緒に言って馬鹿にしていたのが懐かしい。
 あぁ、懐かしい。

 そんなところに居させられていると、過去の記憶が浮かんでいった。

 小学生時代のこと、中学時代のこと、高校時代のこと、結構多くの記憶想念、……それらが浮かんでは消えていったのだ。
 泡のように。

 あるときには僕は女扱いをされた。しかし、そこまでラディカルにそうされてはいなかったはずだった。しかしながら、ある恐怖か、それとも状況的緊迫性と結び付いたらしい記憶は襲われているようなシーン的な連想へと擦り替わろうとしていた。……そういう可能性もあるのかも知れない、いいや、あったのかも知れない。
 それは中学時代か高校時代の話、ある男子、いや男子だった男、オタク野郎がしたことを元に、広がった連想だった。あれはゲームをしていたときのことだった。
 それはそれとして、そう、長時間誰もいない、何もない部屋に軟禁されていた人が結局発狂してしまった、現実に刺激が無いばかりに、過去の記憶や想念ばかりが思い浮かび、そういったものに煩わされ幻覚に苛まれるようになって……、その遮断実験が中止されたなんて心理学の話を聞いたこともあったな。

 ソファの上、本を開きながら、上の方を見ている。
 背もたれに凭れながら。

 ……そう。
 新しいゲーム、オンラインのやつを買ったとか、貰ってきたとか言って、そいつが部屋に呼んできたときのこと、嫌いだったが、暇だったから、誘いに乗った。そんなこと、しなければよかったのだろう。
 けれども、それはある意味、予定調和的に起こることが仕組まれていたような、実際起こってもおかしくなかったような、若しやすると予見出来る類の事柄だったと思う。
 彼が圧倒的に不利な状況に置かれるのを、見たかったのだろうか、男を襲った男とか言われていじめられているのを、見たかったのかも、知れないなぁ……。どちらかと言えば、イタイタしい、中二病的な、他人を平気で傷つけられる俺カッコイーとか思ってる類の者だったもの、つらい思いをさせたらどうなるのか見てみたいといったような、嗜虐心をそそるような奴ではあったと思うし、それで実際いじられてもいたから。
 まったく、訳分からない。どうしてナイフを持ち歩いたり、その刃を舌で舐めたりとか、いかにも漫画やラノベのキャラクターがしそうなことをしていたんだろう。
 ……そういう、影響を受けている当のところの作品って時期によって変わるのか、そういうタイプのキャラが活躍するラノベが発売された後のことだったから、何より一層、それが、イタイタしさを加速させていた、そうだった気がする。
 それはイキリオタクの、末路……。
 そう言えば、あいつはテロの“同志”に加わっていただろうか? 彼があのときのままなら、きっと喜んで参加したに違いないと思うのだけれども。

 扉が開く気配がした。