脳味噌破裂するような(13)

 引き金に指をかけると、それから電撃が走った気がした。
――僕を撥ねつけるように、その黒い金属塊が電気を走らせるのだ
 そしてそれはまるで生きているみたいに脈動しもするのだ。手から伝わる、どこか金属的な、しかし生物のみが発するものである筈の鼓動、斬新なそれを感じながら、照準を真っ直ぐに向け、指へと屈伸運動をするように電気信号を流す。

 トリガーが鳴らす擦過音は……。

 銃を撃ち放った。

――殺したかった……、それが本心だったのだと確認したようにも、思う
 無様にも、胸を、貫かれて、彼は崩れていった。

 仮面の男は身体を歪ませていった。

 あらゆる血が流れていった、……いつか作られた筈の血、騒いだり逆流したりした筈の血、いつかの血、新しい血、彼の体内を駆け廻ってきた筈の血、……零れていった。
 どうしてだろう? 僕を睨みながら、視線を外さないまま、膝を崩してゆくのは。力を失ったように段々と腰を落としてゆくようなのは。
「勿体振らずに、すぐに死ね」
そんな呟きをする僕を、睨んでいる。
 ……そうしていれば、僕が損失を被るみたいにして。
 昔インドでは肉体は財の一部と見做されていたどころか同一視されていたなんて前に彼は言っていたが、それなら彼の肉体が損傷する毎に、どれだけ経済的損失が生まれると言うのだろう? そうしてその損失を補填する為に何をするというんだろう、彼は。それは一体、ビジネスなんだろうか?
 一発、二発、続けて撃った。反動が凄まじい。グリップの熱さに手が焦げるようだ。
 当たっている、筈だ。何発も撃てば、そう、崩れ落ちる。死ぬ、……あの男が死なない筈がない。
 あの気持ち悪い、僕のことを捕まえていたあの、男、……死ね、死ね、死ね、そう思う度にトリガーを引いてゆく。手が、震えているのか、彼に当たった気がしないのも、幾発かある。
 肩が、外れそうだ。
 死、ねぇ……っ。
 手が、それを、放さない。息が、どうしてか、苦しい。大分、暗い廊下でのことだった。
 血溜まりに彼は沈んでゆく。
 自分の身体が震えていることに気付かされる、いやでも、それを認めざるを得ない程に。そうだ、僕は、……震えている。
 人を、殺しているんだ、僕は。
――本当に、撃った、人を……
 それも、知らない人じゃない、友達でも何でもないとは言え、一応は、知っている人、いや、ものだ。それを殺す為に、撃ったのだ。弾丸が当たったのだ。それは崩れ落ちているのだ。
 やっと、……それは、止められたのだ。
 ざまぁみろ、と思う。
――死んだ
 あらゆる人を撃ってきた、殺してきたあの男、性的に拷問されている人を僕に見せてきたあの男、ずっと幽閉してきたあの男、……それを、殺した。
 死んだのだ、僕を解放しなかった、好きに扱おうとしていたあの男を。
――飼おうとか、調教しようとか、そういうことをしかねなかったような、若しかしたらその一環として、前段階的に閉じ込めていたかも知れないような、意味の分からない、幽閉鬼を
 且つテロの”首謀者”とも言われていた男、それを、撃ったのだ。
 怒りの為か、息が、漏れた。憎しみのあまり声が漏れた、それは震えていた。先程放たれた弾丸に、すべての憎悪を込めた気がした。
 大体、色んなことが思い浮かんでいた、撃つときには。
――僕が被ってきた理不尽、それらをすべて清算してきた気がした
 あのテロリストの”同志”達が、今まで理不尽な目に逢わせてきたような人達を、殺害、拷問、処分しようとし、漸々と実行としてきたのは確かだ。
 けれども、……。
――あいつが死ねばすべて解決するんじゃないか、というような
 あいつだけが悪なんじゃないかというような。
 あいつを殺していれば正義の味方になれるんじゃないかというような。
 僕を理不尽な目に逢わせていた相手と、同じ輪の一部になれるんじゃないかというような、……あいつだけが敵なんだというような。
 殺したのだ、それは。もういないのだ。
 あぁ、どうしてかやっちゃたの、後悔しているみたいかも。
 どうしてか分からないけど、そういった気持ち起こちゃってるかも。
――何か、もう一回殺してみたい、みたいな
 その感触を確かめてみたい、みたいな……。

 殺した、それが楽しくなかったと言えば、嘘になるだろう。

 全体、人は暴力というものを好み過ぎている。僕は、嫌いなんだけれども。人を殺すとか拷問するとか、したくないし、そういうのをされているのを見るのも、好きじゃない。
 大体、血を見たくない。
 嫌いなんだ、凶暴な奴らは。……誰かを傷つけて愉しむ奴らは。

――それだから、撃ってしまった

 その僕を、メイドさんが運ぼうとする。
 肩を貸してくれて、そうして、運んでくれようとする。
 どうしてだろう、運んでくれようとする……。

 頭のおかしいあの男にも、シンパというか、信者のようなものがいるらしいのだが、実際、あいつの死体――すでにそれは死んでいるのだ――の元へと、駆けてくる足音が聞こえる気がする。
 死んだのだよ、そいつはもう、死んだのだよ、銃に撃ち抜かれてしまったのだよ。
 金属の粒に身体を貫かれて命を絶たれたのだよ、みんなを殺してきたテロリストは無惨に斃れたのだよ、ホテルみたいな内装をした建物の中で、殺されたのだよ。
 ……この、銃に殺られたのだよ。
 何でだろう、手が、離れない。銃身から手が離れない。火傷させてくるだろうその銃が、焦げ付いたかのように離れようとしない。
 ずっと、持っている。緊張のせいか、極度の焦燥感のせいなのか、僕の指はかたまってしまったみたいだった。
 それを持っているのだった。
 彼女が優しく指をほぐそうとしてくる、それでも、僕の指は言う事を聞こうなんてしないのだ。
 誰の言う事もこの指は聞こうとしないだろう。けっしてこれを放そうとしないに違いない。
 人を殺す為に作られた道具は、人を殺すことにより凶器と化してしまった。
 トリガーの引かれた銃は詰まり、別のものに変わってしまった。
 沓沓、進みゆく。
 ゆびが、かたまったまま……。緊張? しかし、あいつを殺すのにそんな気持ちになるなんて、どこかおかしくないだろうか?
 これが、ファベーラにタムロしていたようなあの男達だったなら、笑いながら、愉快気に、愉悦の笑みを浮かべながら殺したのだろう。
 けれども、そんな感慨になることはなかった。
 あいつらは一体、何を求めていたのだろう。
 仮面の男なんか俺達が殺してやるよなんて、勇ましいことを言っていたけれども、結局、テロリスト達が齎した混乱に乗じて好き勝手やっていただけだった彼ら。正義の味方を気取りながら暴力を振るっていただけだった彼ら……、暴力を振るうことを正当化していた彼ら。
 しかし、彼らは結局、あいつを殺すことには貢献しなかったじゃないか。それどころか、テロの”同志”達と一緒になって暴れていたこともあった。
 力が正義なんて言う者達は結局、力によって虐げられることになるのだろう。
 力が正義というのなら、力の原理について知らなければ、正義について知ったことにはならないのじゃないか、なんて、あいつなら言っただろうか、いや、あいつは死んだのだけれども。
 あいつの残影に振り回されるなんて、ごめんだ。

 ……すでに血潮により壊された筈の扉が見える。それは未だ破られてはいないのだった。ひしゃげていたけれど。
 どうにか二人でそれを開けて、外廊へと進み出た。清い空気が吹き流れてきた。風に撫ぜられた手が、異様に冷たく感じることにも気が付いて、それを見てみると、血に塗れていた。粘性の液が流れている。……何故? どうして? 僕は、撃たれた? 切られたのだろうか? あまり意識が朦朧としていたので、全然、気が付かなかった。何故かは知らないが、それに可笑しさが込み上げて、笑みが浮かんだ。
 どうにかすると、あいつも同じ気持ちだったのかも知れない。初めて人を殺したとき、あいつはどう思っただろうか? 人を殺しても、羞恥も罪悪感も湧かなかったのだろうか、彼は。
 誰かを殺すことで、彼は何か、気持ち良くなっていたのだろうか? 欲望の満足を感じていたのだろうか? それは結局、損失を齎すものでしかなかったかも知れないのに……?

 力というものを嫌っていたからこそ、テロなんてことをしていたのかも知れないな、彼は。
 それとも、ただ殺戮をしたかっただけなのだろうか。恐怖に駆られているように、怯懦な様子を見せながらも、実際のところ自分だけは助かろう、このテロリストを利用してやろうと、騙せると見込んで媚び諂い、阿る人々を、見たかっただけなのだろうか。きっと頭を下げてきて、怯え、ひれ伏しもしただろう、……いつも彼らがしているようにして。
 一般人達の”力関係”、ルールの中に彼もまた入りたかっただけではないのかと、そう思えるのだ。
 力の原理……、多数派であればある程強くなるといった、ファシズム的なそれ。
 それに、彼は抗いたかったのだろうか、野党的に?
 果たしてそれは分からないけれども。

 僕は空気を浴びていた。晴れた空には雲が浮かんでいた。
 光が、血と硝煙の臭いを消し去ろうとしてくれているようにも思えた。
 滅菌し、殺菌し、消毒してくれるのだ。洗濯用洗剤のシーエムでよく流れるみたいにして。
 あらゆる汚れを洗い去ってくれるようなのだ。

 突如、外廊の下から声が聞こえた気がした。それは石を持ち、いざ彼を打てと叫ぶ大衆共の声だった。
 あるときには彼に従うと言っていた者共ら、それからずっと反発していた者共ら、ファベーラの中で奴隷制を敷いていた者共ら、また”同志”達、……あらゆる人々が集まり、怒号の声をあげているのだった。
 あの”首謀者”を打て、すべてあいつが悪い、あいつさえ殺しておけばいいんだ、死体に石を投げつけろ、……そう叫んでいる、そういう声が、聞こえた気がしたのだ。
 雲霞の如く押し寄せる人、その波。
 その声を余所に、あの間へと僕は抜けていった。