その心、誰も実在しない
最近、ものをちゃんと考えようとした時に、気づいたことがあるのです。
ものを考えるときに自分で考えているつもりだったのですが、脳の、心の中といってもいいのですが、立ち上がってくる部分があります。
今、文章を書いている部分ですね。
仮に『僕』と呼びましょう。
『僕』はわりに気楽で楽観主義でへらへらしています。これがおそらく自分が対外的にも出している事の多い部分で、みなさんのあっている九十九屋さんたは『僕』ですね
よく死にたくなったりしているのは、ぼんやりと心の中にいて、その思惟を見つめている『私』です。アクティブに動いてい居れば『私』はほとんど出てきません。
別に多重人格とかじゃなくて、心のどのあたりが強く動いているかということです。
では、外にいる『あなた』に対しては『僕』と『私』はどう対応するでしょうか?
『僕』は行動に対してより強く反応します。好意には好意。悪意には悪意。
『私』は自分にとっていいことでも悪い事でも、善意で解釈します。
ただ、どぢらも認知が歪んでいるので、正確に物事をとらえることはできません。
特に自分でやばいなと思っているのは他人とコミュニケーションできない事です。
自分の中にいる何人かのタイプにその人をわけてしまい、その人と話している風で、実際はタイプに対しての対応をしている気がします。
ぴたりとはまるととても仲良くなれるのですが、ないタイプだとどうしていいかわからなくなるようです。
昔から親に人の心がわからないといわれていたのは、そういうことだったのかなと今週気づきました。
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