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桜樹の祟り

桜樹の祟り 横手郷土史
 江戸時代までは、花見といっても、公園はなく、山野のものを見る程度であった。
 明治の頃になって桜を眺めるようになり、瀧の澤は桜の名所となった。
 三年ほどがすぎた頃、金澤の某という男が、そのあたりの桜を買い取り、斧を持って切り、炭焼をはじめた。
 横手の寺では人々の楽しみが失われると、金を揃え、某に渡して、桜を伐るのをやめてもらうように頼んだ。
 某は金をうけとったものの、桜を伐るのを止めなかった。
 そうして瀧の澤は無残な様になった。

 某はその後、足腰が立たなくなり、動くこともできなくなった。
 人々はそれを桜の祟りと嘲ったという。
 

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