91. あるきクラブ (連載) その6。

(その1 https://note.com/tikuo/n/nc0bd647ab319?magazine_key=m73a5a46ec443 )

6. U駅付近。

 ベースのマルチエフェクターを購入したのぞみ、冬物のミリタリージャケットを購入した辰巳さんと、私の3人は、中山道を南に下った。中山道とは言っているものの、新旧などあるらしく、よくわからないのは事実だ。

「そういやさ」
私はのぞみに話しかけた。

「…さっき、店の中で『おかあさん』て言ってたよね」
「うん」
「で、『おとうさん』じゃなくて『パパ』なの?」
「うん、パパ」
「統一しないの?」
「別にー」
なかなか複雑な状況なような気がする。辰巳さんはどうなんだろうと思い、聞いてみる。

「辰巳さんところはどうなんです?」
「…え、なにが?」
ミリタリージャケットを入れた袋が、思いの外かさばって歩きにくいようである。

「持ちましょうか?」
「うん、ちょっと疲れた。お願い」

「で、辰巳さんトコは、『パパ』『おとうさん』どっちですかね?」
「ああ、ウチは『パパ』『ママ』だよ。めぐみも、お兄ちゃんも」
「あーやっぱりねえ。ウチは子供が勝手に『パパママ』で統一してしまって」
「でも、まだ幼稚園でしょ?」
「卒園したてですけどね。いつか『パパママ』だと恥ずかしいと思うようになるんでしょうかねえ」
「さあ、ウチは高校入っても『パパママ』だけど」

「あ、そこの角を右に入ると安いコーヒー豆の店がありますよ」
われわれはドアを開け、雑然とした店に入る。

「わーいいにおいする。このクッキーもおいしそう。で、豆はどこ?」
辰巳さんはこれまで以上にはしゃいで、どんどん奥へ進んでいく。幸いこの時間には客が少ないようで、窓際に作られたカウンターに2人と、レジに2人ほどしか並んでいない。

「ええー、豆ってこれ?緑色なの?」
この店は、焙煎前の豆を展示しており、オーダー後に焙煎するスタイルになる。焙煎を行っている厨房の前は、目にまで刺激が来るような強烈なコーヒー臭がするのだ。

「辰巳さん、いつもサービス品が2つくらいあるので、それが安いですよ」
私も家様にサービス品を少し買うことにして、レジ前に並んだ。

「私ー、ソフトクリーム 300円」
メニューを眺めていたのぞみが、脇からボソッと呟く。

「わかったわかった。それくらい買ったる」
「え、じゃあ私はアイスラテのMかな」
「辰巳さんは自分で出してくださいね」

「…えーと、タンザニヤのセールの豆の200gと、コロンビアの200g。挽いてください。あと、ソフトクリームを1つ」
「サービスの珈琲はどうしましょうか?」
「あ、3つで」
「では後ほどお呼びします」

辰巳さんも同様に豆とアイスカフェラテを購入し、ソフトクリームを持ったのぞみとともに窓際のカウンターに移動した。

「あー生き返るー。なにここ、コーヒーを買ったら、コーヒーが付いてくんの?」
「マスクを外したら、しゃべんないでくださいね。豆を買うと人数分珈琲を入れてくれるんです」

「えーと…」
辰巳さんは一旦マスクを付け直す。
「じゃあ、10人くらいで来て、一人だけ豆を買ったら10杯飲める?」
「いや、上限あるでしょ。普通」

数年前に、件のリサイクルショップで電子ドラムを購入し、帰りにベビーカーに電子ドラムを乗せて、ここで子供がソフトクリームを食べていたことを思い出す。子供は小学生になっても、高校になっても、同じようにソフトクリームが好きなんだろうな、と、相変わらず小声で「うま、うまっ」とつぶやきながらソフトクリームを食べているのぞみを見ていて考える。

「あー、ソフトクリームのあとの温かいコーヒー最高」
のぞみが思わず口にする。
「あー、冷たいコーヒーのあとの温かいコーヒー最高」
辰巳さんも言うが、それじゃあ"ごはんライス"みたいじゃないか。

*

店を出た我々は、NHK、警察署、消防署、市役所と、役所ばかりが並んだ道を進んだ。

「ああ、あそこのパン屋ね、結構美味しいんですよ」
市役所の敷地の中にあるパン屋は、週末だからか、残念ながらシャッターが閉まっていた。

辰巳さんが言う。
「市役所ってさあ、来たことある?」
「無いですねえ。用事は区役所で済みますし」
「区役所のある地域の市役所って、窓口は何やってんだろうね」
言われてみればそうだ。留学生がなにかの手続きで市役所に行っていた薄い記憶しかない。

U駅に向かうため、中山道から直行した東向きの道に入る。大通りから1本入ると、旧町屋街とでもいおうか、静かなとおりになる。自ずと口数も減ってくるのである。すると、我々の後ろから自転車が走ってきた。ベルを鳴らし、カポン、カポンと音を立てて、コンクリートの側溝を鳴らして追い抜いていく。

「…あー、なんかああいうの、懐かしい」
辰巳さんが言う。

「昔はさー、新聞屋さんだったよね。バイクで」
なるほど、スーパーカブが側溝の蓋の上を走る、夕方の風景のことである。

「ああ、カブのエンジンと、ガチャガチャいう音と、溝の蓋の音ね」
「そうそう。なつかしい」
我々が盛り上がっていると、のぞみが難しい顔をしている。

「どうしたん?」
私は声をかけた。

「ちょっとまって、今思い出してるんで」
「はあ」
「…うん、わかった。多分」
「何が?」
「『懐かしい』っていう感覚。えーとねえ、なんだったかなー、下町のアニメででてくるの。いつも"ファーフー"っていう音といっしょに」
「豆腐屋ね」
辰巳さんも思わず入ってきた。

「え?あれ豆腐屋?豆腐売ってんすか?」
「うん、最近見ないけど、30年くらい前は普通にあったよ」
「軽トラで?」
「さあー、なんか、大八車みたいなのに乗っけて」
「ふむ、なるほど」

「で、何言ってんの?」
「あのですね、ライトノベルでもアニメでも、定形表現ってのがあるんですよ。入学式に桜が満開になってるとか」
「入学式に桜はないよなあ。今3月半ばで咲き始めてるし。ほら」
私は、旧警察署裏に植えられ、先の方から白くなっている桜を指差した。

「いや、だから、それは定形表現なんですよ。桜が出てきているということは、入学式なんですよ」
「はあ」
「その熟語というか、定形を知っておかないと、製作者の考える『感じてほしいこと』がわからない」
「むずかしいな」
「だからその、カブ、ドブの蓋、豆腐屋の3つが揃ったら、下町の懐かしさを感じないといけないってことですよ」
「なるほどね…」

*

我々は、土日が休みという、官公庁専門らしい弁当屋や定食屋の通りを抜け、にぎやかな通りに入った。

「あ、ダイソーで、ベースを弾くときにいるもん買ったるよ」
「やったー」
先程のぞみが購入した(一部私が出さされた)ベースのエフェクターに接続するケーブルなどを探す。大体のダイソーは、電気小物はレジの有る近くと決まっている。

「AUXがこうきて、一応2本か?それから、ヘッドホン射すのに、プラグ変換いるからな。延長コードと電池もサービスや」
「あのさあ、タケイ」
のぞみが聞いてくる。

「何?」
「ウチのCDプレーヤーって、こんな太いやつ挿すんだけど、これいる?」
「え?イヤホン標準プラグ?今どき?」
「うん、パパがすごいでかいの使ってて、それしかなくて」
「スマホは?」
「スマホにイヤホン端子無いし」
「いつも練習どうやってんの?」
「スマホのYoutubeで音を出すか、でかいCDプレーヤー。あとアンプ」
「それ、うるさいだろ?」
「そう。おかあさんにうるさいって言われてる」

「普段音楽を聴くのは?」
「CDだよ。練習してる曲は焼いてもらった」
「CDを焼くとか、最近してないなー」

私は、標準プラグと延長コードを追加し、購入してのぞみに渡した。1枚5円のレジ袋までサービスしてやった。

店を出ると、辰巳さんが不機嫌になっていた。
「もう、疲れた」
「はいはい、もうそこ、U駅ですから」
「やったー帰れる」
「伊勢丹とユザワヤどうします?」
「えー無理。なに、武井くんまだ歩けるの?なにそれ?のぞみちゃんは?」
「もういいっす」
「じゃあ、電車で帰ろうよ」
「はいはい」

*

我々は、あえて停車駅の多いK線に乗り、座って帰途についた。辰巳さんとのぞみは、疲れからかほぼ無言である。

しかし、のぞみも変わった子である。運動部ばりの体力と体格が有るのにピアノを選び、バンドではそれを活かさずリズム隊、『おかあさん』『パパ』と呼び、懐かしいものを感覚ではなく知識で補う。我々からするとバランスが取れていないように見える。

それが、彼女の中ではバランスがとれているというのは、モビールの天秤棒の先のように、相手は1つではなく、分岐があったりするのかもしれない。

*

O駅で下車し、2階のコンコースで解散することになった。
「今日はありがとね。すっごい歩いたわ。夕飯はここで買って帰る」
辰巳さんは電車の10分あまり座ったことで、少し回復したようだ。

「えーと、10.8km。ホントだー、10kmだ」
のぞみはスマートフォンを見ながら言った。

「測ってたの?」
「うん、武井は信用できないから」

最後に言ってみた。
「ところで、のぞみって、ちょっと変わってんな」
「そう?ちょっと変わってるのが普通じゃないの?」
そういうものなのか。

「週末に10km歩いてるのも、相当変だよ」
「まあな」
「でもたまにはいいかも」

*

家に帰り、コーヒーとともに、見慣れぬ荷物があることに気がついた。のぞみが古本市場で購入した本を渡しそびれていたのだ。よく考えたら、辰巳さんに貸した万歩計も返してもらっていない。まあ、いいか。

夜中、LINEが入った。のぞみからだった。

「朝の曲のタイトル教えろ。あと、本返せ」

(おしまい)