83. あるきクラブ (連載) その1。

1. O駅出発

 3月は年度末目前の木曜日の午後。事務室に納品書を届けに行った際、私は辰巳さんに呼び止められた。

「あのー、武井先生って、いつも週末に10kmくらい、歩いてるんですよね?」
「あ、まあ、一人のときは1日10km、家族なら2日で10kmくらいかな」
「それ、一回やってみようと思って、連れてってもらえません?」
「あ、えーと、まあ良いですよ。妻も子供も、最近は週末アニメ三昧で、家から出ないし」

そう、昨年の11月頃から、Amazon Primeで、結構面白いアニメが見られることに気がついた妻と子供は、土日は家に籠もってアニメを全話見ている。昨年購入したゲーム機は、ほとんど使われていない。私も長年アニメはほとんど見ずにいたせいで、一般のアニメのシリーズが3ヶ月12~13話であることをはじめて知った。

「じゃあね、再来週の週末とかどうです?めぐみも期末テストが終わってるし」
「あれ?めぐみ…ちゃん、も来るんです?」
「あれ?邪魔~?あの子、たぶん運動不足だし。のぞみちゃんも呼んだら来るかも」
めぐみは辰巳さんの娘で、現在高校1年。のぞみは、めぐみの同級生で、二人で秋からめぐみとともに高校の軽音部に入った親友である。

「ところでセンセ、歩くのに、どういうものを用意したらいいんでしょ?」
「えーと、私の場合は普段着ですね。今日の格好」
「そうなんですか?」
「えーと、具体的には、動きやすい格好。ジーンズにセーター、この時期だとライトダウンかウインドブレーカー、後はスニーカーですね」
「ふーん、注意点とかあります?」
「そろそろ昼間の気温が15℃以上になるんで、あんまり1枚で分厚いのよりも、薄いのを重ねて調整したほうが良いです。あと、ネックウォーマー。靴はかかとの高くないもの。晴れていたらジョギングシューズがベストかな」
「天気で違うの?」
「ジョギングシューズはアッパーがナイロンなので、雨に弱いんですよ。小雨が降りそうなら合皮の軽いスニーカーで。靴ずれが怖いから、履き慣れたもので」
「登山靴みたいなのは?」
「あー、街なかだと逆に疲れるんで、歩いた時にコツコツ音がするようなのはやめたほうがいいですね。あと、膝に不安があったらサポーターもあればいいかも」
「なるほど…メモしとこ」

辰巳さんは熱心にメモっている。

「それでセンセ、どこにします?」
「あー…えーと、どういうところがみたいです?」
「うーんと、まだ桜にも早いし、梅…はもう終わってるし…」
「いや、行きたい店めぐりとかでいいですよ。私の場合、古本屋とかハードオフとか」
「ああ!うーん、手芸屋?あと、コーヒー豆かな」
「難しいの来ましたね」
「いや、別にいいんだけど、先生の行きたいところで」
「古本屋とかになりますよ?」
「いいですよ」

*

そんなこんなで、3月の半ばに約10kmを歩くことになった。そこで過去の歩いた記録から、初心者でも適度に飽きずに歩けるルートを探す。

「あ、辰巳さん。こういうのでどうでしょ?」
スマホでルートを見せる。

「えー、O駅からU駅?遠くない?」
ターミナル駅のO駅から、県庁のあるU駅までは、電車で15分強。Google Mapsで検索すると約7km。過去のGPSでのルート記録では、寄り道をするとちょうど10km程度になっていた。

「えーと、これが過去にU駅から逆に来たルートですけど、ちょうど10kmですね」
「へー、私、行って帰ってくるのを想像してた」
「ええ、線路やバスの沿線で、行きは歩いて帰りは電車っていう歩き方は、気分的にも楽だし、途中挫折しても、途中駅からでも帰れるのでいいんですよ」
「へー、なるほどね」
「手芸店はー、…最後のU駅前しかないですけど…」
「いいよいいよ。じゃあそれで」
「今週末の、できれば土曜日がいいですね」
「そうなの?」
「天気が良さそうで、最高気温16℃予想。それに、初心者は次の日に筋肉痛がきます」
「ああ、そうなんだー。でさー、痩せる?」
「1回歩いただけじゃ、痩せないですよー。トランジェント(一時的)に、2kgくらいは減りますけど」
「よっしゃー。2kg。やる気出てきた」

仕事柄、つい口に出てしまった"トランジェント"の意味がうまく伝わっていないような気もするが。

*

3月第2週の土曜日。朝10時にO駅西口のソフマップ前に集合する。すでにイベント待ちなのか、すでに高校生か大学生のグループが、そわそわと落ち着かず、行ったり来たりしている。

「オハヨー、武井センセ!」
「あ、おはようございます、あ?」
辰巳さんと一緒に現れたのは、のぞみだった。
「…おはようございます」
高校生も一人だとおとなしい。
「あのねー、めぐみとうちのパパ、花粉症がひどくて、家から出ないって」
「…なるほどねー、って、辰巳さん、すごい格好ですね」

辰巳さんは、蛍光色のキャップにサングラス、蛍光ピンクのラインの入ったウインドブレーカーに、スポーティーなショートパンツ。これまた蛍光ライン入りのタイツに、ピンクのナイキのスニーカーだ。さらに大きめのリュックを背負っているので、山から降りてきたジョガーという感じだ。体型が少々丸っこいので、光沢のあるタイツで足の細さが際立っている。
「あ…、やっぱりやりすぎ?」
「荷物大きいし、あと、暑くないです?」
「うん、タイツ2枚重ねてきて、今後悔してる。荷物はほとんど空よ。スポーツドリンクとタオルくらい」

一方ののぞみは、フリースのジャケットに濃い紫のタイツとジーンズの短パンに、Marvelのロゴ入りリュックである。スニーカーはニューバランス。ベージュとグレーに紫を差してでシックにまとめている。そういえば、私服を見るのははじめてだった。

「あー、はじめて私服だな」
「…また、制服のが良かったすか?」
「なんでやねん」
私はどう思われているのであろうか。

「つーか、のぞみちゃん改めて、背が高いねー。スタイルもいいし、モデルさんみたい。で、靴も大きいの?」
辰巳さんは、こちらが考えたことを先々予想して口にしてくれる。
「うーん、168cmなんですよ。靴は25.5cm」
「それって、メンズ?」
「そうー。可愛いのが無いんですよねー」
「そうなのー?私、24.5cmだけど、メンズの方がいい色あるよ。レディースって、変なピンクのラインとか入ってるし」
「でも、たまにそういうのも履きたいんですよー」
「…」

「えと、2人共、今のところ寒くないですよね?」
会話が途切れてしまったので、慌ててフォローを入れる。立春の午前中のビルの影である。それなりに肌寒い。
「大丈夫ー。ていうかちょっと暑い。トイレでタイツ1枚脱いでこよっかな」
「…ああ、はい。ここで待ってましょうか?」

辰巳さんがビルのトイレに向かい、それを待つ間、2人が残された。

「…えと、ベース、どう?」
のぞみは秋に、シースルーのブルーのジャズベースを中古で買った。私はそのベース選びを手伝ったのだった。ちなみに、私もベースは購入しているが、全然うまくなる気配がない。

「…うーん、思ってたより、難しくなくて。めぐみのギターがまだまだだから、ちょっと暇ですね」
「えっ…?初心者なのに? すごいな…」
「うーん、昔から譜面通りに弾くのはすぐ出来ちゃうんで。部活では、すぐ自主練になっちゃって、ベースだと一人だと音がさびしいし」
「他にメンバー入ったの?」
「ドラムにカヨって子が入ったけど、こっちも初心者。まだ8ビートの特訓中」
「へえ。耳コピとかは?」
「うーん、ちょっとやってみようかなって思うけど、どういうのがいいですかね?」
「例えば…」
スマホに入っている、ホール&オーツの"You make my dreams"をかけた。
「…こういうのとか、弾けそう?ベース聞こえる?」

のぞみはスマホのスピーカーに耳をつけて聞いて、言った。
「あー、こういうのはやったこと無いですねー。習ったのはロック系だから」

「おまたせー。遅くなってゴメーン」
辰巳さんが帰ってきた。

私はスマホをしまいながら、のぞみに言った。
「ソウル系とか、R&Bとか、ジャズって、ベースが主役の曲って有るからね」
「でもまあ、やってみます。また教えて下さい」
「ソウル系は難しいよー」
「えっ、難しいです?12フレットまでとして、12かける弦4本で、2オクターブちょっとで48音しかないんですよ?」
「えっ…?」
「ギターだって、12フレットまでなら6本で72音でしょ?ピアノは88個も鍵盤が有るのに」
これまで、そういう風に考えたこともなかったので、返答に詰まる。

「あー、のぞみちゃんはねー、小さい頃からピアノうまくて、家に行くとトロフィーが有ったりするんだよ」
辰巳さんが解説してくれる。
「中学の時は、合唱部でピアノをやってました」
「へー、大きいからスポーツやってたのかと思った。バレーとか」
辰巳さんは、こちらの思ったことをすぐ聞いてくれるので、非常に助かる。
「いつも、言われますけど」

(つづく)
*