104. 原付を買う。

 原付バイクを買おう。そう思ったのは、1997年の初頭だった。思い立ったきっかけは、やはり寄居だったと思う。寄居とは、中学高校の同級生で、国立K大に進学したが、卒業間際の1996年の6月に急死した友人だ。

寄居は1994年頃、何を思ったのか突然400ccのバイクを買った。K市内といえば、当時は30分遅れは当たり前のバスが走り、東の山の下には路面電車が走っていて、車の運転には非常に不便なところだった。寄居の住んでいたマンションからK大までは、電車で3駅自転車で15分というところだったので、バイクを買う意味がわからなかった。黒に青いラインの入ったバイクを引っ張って、マンションのガレージからでてきた寄居を見たときは、私がイメージしていた絵面と違いすぎて、思わず「へぇ…」と声を出してしまったほどである。

寄居のバイクでは、2回出かけたことがある。タンデム自体初心者だったのだが、寄居は

「シートの前と後ろにベルトがあるやろ、それを両手で持て」

そう言うと、夜中の京都市内を、最高時速120kmで走り、天下一品のラーメンを食べに行った。本気で死ぬかと思ったし、2回目の後「もう乗らん」と言ったが、その後に寄居が死んでしまったのでもう乗ることはなかった。

*

1997年、早々にバイト代と仕送りのためてあった分を合わせて、コンピューターを買った。PowerMacのデスクトップで、周辺機器も合わせて25万ほど。その前に実家で買ったPC-9821が45万円ほどだったので、安くなったな、なんて言っていた。

コンピューターは、名目上は卒論を書くためだったが、本当の目的は家からインターネットを繋ぐためだった。当時はまだSNSなどなく、「ハンドルネーム」をひっさげて、レンタル掲示板をあちらこちらと飛び回るのが、唯一の交流手段であった。そして、多くの人がバイクを趣味にしていることを知ったのだ。

寄居が突然バイクを買ったのもこれが原因だったのだな、そう気がついたのは、そこから20年ほど後の話になる。

そして私も影響された。でも私は普通乗用車の免許しか持っていないので、原付しか乗れない。そこでバイクについての相談に乗ってくれたのが、伝説の絵師だった"愛米モコ"さんのサイトに出入りしていた、"闇猫"さんであった。闇猫さんは言動等から男性の大学院生らしいと思われたが、この人も"幼女"を演じていた。そういう時代だった。

私は闇猫さんから色々なバイク売買サイトを紹介してもらい、大体の相場、ギア付き原付なら、15~20万円というところを覚え込んだ。しかし、当時の売買サイトはなかなか更新されなかったうえ、出している店は東京名古屋大阪の大都市にしかなかったため、大阪から100kmを乗って帰れるかなあ、などと心配していた。闇猫さんは「ああ、100kmくらい、すぐ乗れますよ」と軽く言ったけれども。

大学が半日の水曜日と休みの土日は、O駅の地下にある書店に出かけた。もちろん、O県K県の地方情報の載ったバイク雑誌の中古車情報を見るためだった。

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そういうことを半年以上続け、卒論研究も佳境になる秋、ようやく見つけた。

「Yamaha DT-50, 白xピンク, 49cc, 1990年式, 107,000, 走行12000km, O県K市 Yモータース 086XX-X-XXXX」

当時の私は金がなかったので、100円でも安く買いたかった。そこで350円の雑誌といえども購入せず、カシオのデータバンクという腕時計にYモータースの電話番号を入力し、そそくさと、斜めになって出にくい出口から退散した。

約5kmの道のりを急いで帰宅し、Yモータースに電話を掛ける。電話も公衆電話からだと途中で切れると困るので、電話をかけるためだけに家に帰らなければいけなかったのだ。電話には、おじさんの店員が出た。

「ほうけ、O市からけえ、ちっと遠いいよう。大丈夫?」
「あ、がんばります」
「じゃあの、Nって駅があるからよ、そこからバスでな、Hいう停留所で降りてくれ。そっからすぐわかるけえ」
「わ、わかりました」

次の水曜、午後に学校からまっすぐ駅に向かう。手には不似合いな、先輩からもらって、意味もなく白く塗ったフルフェイスのヘルメットを持って。

電車で6駅。N駅からバス。知らないところのバスに乗るというのは、なぜこんなに不安になるのだろうか。電車ならまだしも、知らないバス停は怖い。なんだ「公園前」って。

そして、Hという停留書の周りはほぼ畑と更地だった。周りに広がる畑と更地の2つほどむこうに、「HONDA」の看板が見えた。新興住宅地の出来かけというところだ。

「へえ、O市からじゃと、よう来たのう。バイク、初めてや言うのに、メット持っとんか」
「先輩にもらいまして」
「ま、フルフェイスじゃし、問題ねえが。半ヘルとかやめとけよ。死ぬど」
「はい」

「えっと、まずな、乗ってみんよ。それで決めてくるか」
「はい」
「なあ、XX、ピンクのDT持ってきたってー」

おじさんは、客のものと思われる大型バイクを整備していた若い男性に声をかけた。
「うわーい」

男性は、白にピンクのシート、サスペンションのスリーブもピンクで、稲妻のようなロゴがタンクに入った、スリムだが背の高い、鹿のようなバイクを、ゴロゴロといわせながら倉庫から引きずってきた。ヤマハのDT-50は50ccのオフロード車である。

「エンジンのかけ方、知っとるか?」
「キックですよね」
「ほうじゃ、じゃ、やってみい」

一応ヘルメットを被り、キーをOnに回す。キーの横にある四角いランプ2つが黄色と赤に点灯して、通電したことを確認。右足のつま先裏で本体右のキックペダルを起こす。左足でスタンドを解除し、またがってみると、意外に大きい。足は届くのだが、シートもなんだかふわふわとして頼りない。試しにキックペダルを蹴ってみるが、カリッと軽い音がするだけで何も起こらない。

「ダメじゃのー。右のハンドルがアクセルやけん、キックするときにガッと開いてみ」

おじさんのアドバイスを聞いて10回ほどやってみるが、まったくエンジンがかかる気配がない。

「おかしいのう、ちょっと貸してみ。ガソリン入っとるよな?」

おじさんは私からハンドルを受け取ると、ガソリンタンクの蓋を開けて覗き、バイクのシートをぐいと押した。タンクって、鍵がいらないものなのか。

「うーん、ちょっと少ないけど入っとるの」

おじさんはまたがって、キックペダルをひと蹴り。パンパンという、予想していたよりも軽い音で、軽快にエンジンが掛かり、マフラーからは白い煙が出てきた。

「ほらあ、壊れとらんからよ。アクセルはずっと開いとったらダメじゃ。キックのタイミングで開いたる。ほんで、ここにチョークがあるけえ、冬とかかかりが悪いときは、引いてからかけりゃあいい。エンジンかかったら戻すの忘れんなよ。そんで、ちょっとそこらーは、なにもないけえ、しばらく乗ってぐるぐる回ってみな。マッチャン、見たって」

「はい」
若い男性は、マッチャンというらしい。

「じゃあ、いきます」

私はネットで見た知識をもとに、左右のレバーを引き、エンジンを吹かしてギアをひとつ踏み込む。左手のブレーキレバーを戻し、右手のクラッチを少しずつ戻していくと…。

ギャッ
エンジンが停まってしまった。

「えーと、アクセルが足らんけえ、もうちょっと開き目で、5000回転くらいまで上げてから戻すんよ。そうそう止まりよらんから。ちょっと見とり」

マッチャンは、もう一度エンジンを掛けると、少し荒々しくエンジンを吹かしてバイクを走らせた。音はうるさいが、スムーズに動いたバイクは、目の前でくるりと展開して元の位置に戻された。

「こんな感じ。やってみ。あと、ギアは1速が下、ニュートラルが途中にあって、2速、3速って、DTは6速までか、あるけえよ」
マッチャンはDT-50が好きなのかもしれない。マッチャンのバイクのさわり方は、荒いが無理をさせない優しさがある。

「じゃあもう一回」

私はもう一度またがり、今度は先程より豪快にふかしながらギアを入れる。バイクはノロノロとではあるが進み、2速に入れてアクセルをふかしたと思ったら、ブワーンという軽い音がして、空回りをした。

「ギアが入っとらんわ。もう一個上じゃ」

マッチャンが言う。

そこからは3速、停止まで、スムーズに進んだ。

「で、どうしよん?買うん?」
「あ、買います買います」
「店長ー!書類ー!」
寂しいのか嬉しいのか、マッチャンは不思議な表情で店の中に入っていった。
そこからの手続きは、舞い上がっていて覚えていない。

*

「O市まではそこの道を左じゃ。まっすぐまっすぐ行きゃあ、O市につく。暗いけえ、気いつけていけよ。書類はこの筒に入れとくけん」
店長に見送られ、すでに暗くなりかけの道を進む。サスペンションとシートクッションのフカフカがきもちい。オフロード車独特の視点の高さ、ハンドルはいつも載っているママチャリの2倍ほどあるのではないかと思うくらいの長さだ。肩は柔らかくと聞いていたが、おもったよりもハンドルに幅があるので、妙に力が入ってしまう。

O市から約10km離れたK市の外れの田舎道は、周りが畑で対向車も後続車もいないため、調子に乗って6速まで入れて進む。遅すぎるとエンジンが空回りしてカツ、カツという音がするようだ。いくら6速まで上げても原付なので、時速は30kmである。自転車だとフウフウいいそうな長い道を、スルスルと進むのは、エンジンの為せる技。自転車のときのようにウォークマンで音楽を聴くわけに行かず、頭の中に浮かんだ歌を口ずさむ。奥田民生『イージューライダー』、エレファントカシマシ『今宵の月のように』、Puffy『これが私の生きる道』。

「わるいわね~ありがとねえ~」などと歌っていると、つい車のいないT字路直進だと、信号関係なく進んでしまいそうになる。自転車じゃないんだから、それはいけない。せっかくバイクに乗っているのに、誰もギャラリーがいないって、ちょっと寂しいものだ。

信号が青になり、再び走り始める。2速に入れようとして、ニュートラルのままブイーンと空ぶかししてしまった。恥ずかしいが、ギャラリーがいなくてよかった。ヘルメットは色を塗る時にバイザーを外してしまったので、目が乾く。サングラスか何か買わないといけないな。バイクのカバーってどこに売ってるんだっけ?トポスかな?甲のしっかりした革のスニーカーかブーツもほしいな。でも、数カ月分のバイト代を全部つぎ込んでしまったから、お金もあまり残ってないんだよな。

数kmほど進むと、周りは杉林の山道となった。秋の日はつるべおとし。登りの途中で背後のピンクとオレンジを混ぜたような夕日は、ミラーから見えなくなり、ほぼ真っ暗になった。山の中の県道。店はもちろん、ほとんど街灯もない。ライトを上向きにすると少し先まで見えるが、できるだけ下向きにしろって先輩が言ってたっけなあ。意味もなくライトを上下上下と切り替えながら走る。しかしこのライト、なんで光の方向が変えられるんだろ?物理的に動いているというより、2つのライトを切り替えているように見える。電球が2つはいっているのだろうか。などと考えながら。

山道はどんどん険しくなり、アクセルをふかしてもあまり進まなくなった。そうか、こういうところで低速ギアだ。と3速まで下げると、ウイーンと声が出ないカラオケで無理をしているような音を立てながら、力強く進んでいく。頼りになるやつだ。

下りでは教習所で習ったエンジンブレーキ。なるほど、ブレーキを掛けなくても減速していくのは四輪以上にわかりやすい。それよりも、クラッチを切って惰性で走るほうが気持ちいい。

数分後、山の中腹くらいだろうか、周りになにもない十字路に差し掛かった。相変わらず車はいない。街灯もなくぽつんと信号が4機あるだけである。進行方向は赤。

なんとなく気温が下がってきて、少し肌寒い。風を防ぐ服が必要だな。そう考えてギアニュートラルに落とし、ハンドルから手を離して周りを見ていた。

ダダダダダダ・ダ・ダ…ダ…
ライトが消えた。エンジンが停止してしまった。ウソでしょ?いやいやいや、真っ暗だよここ。マジで?

待て待て待て。バイク屋のおっちゃんは「ガソリンはまだあるだろ」って言ってたよな。サスペンションに体重をかけてバイクを揺らすと、ガソリンタンクからシャバシャバと音がする。うん、まだガソリンはあるはず。

とりあえず信号が青になったので道を渡り、少し広くなっている路肩でDT-50にまたがった。

アクセルをふかしながら、キック。

バル…。

一瞬かかりかけて止まる。えーと、ギアがニュートラルじゃなかったりして、って、押して動かせてるからニュオートラルだよなあ。クラッチを引いてかけたらいいとか?いや、アクセルと同時には無理だ。

ブレーキを引くと、後ろのブレーキランプが赤く光り、周りを照らす。それ以外には信号の赤と青の光、それだけしか無い山の中である。まじかよー、ここにバイクを置いて買えるの?そうだ、小道迷子『風します?』で見た、押しがけ?ってどうやるのか知らない。闇猫さんに聞いておくべきだった。

しかし、たぶん、きっと、まちがいなく、このバイクはまた動くはずである。さっきまで動いていたんだから、動かないわけがない。

キック。
カラカラ。
キック。
カラカラ。

さっきは「バル」って言ったじゃないかよ。どうなってんだよ。

よくみると、キーを完全にOFFにしていた。キーを縦のONまで回すと、緑と赤のランプが景気よく点灯する。

キック。
バルッ、カラカラ。


「チョークがあるけえ」という忠告を、私が思い出すまで、あと5分。