94. 特攻。 (下)

(前編 https://note.com/tikuo/n/n20caa59f8d84?magazine_key=m73a5a46ec443 )

6.

 およそ1年ぶりに、東京行きの電車に乗り込む。今日もダブルヘッダーで飲んでやる。「一応、都内の電器屋でしか買えない、専用の充電池を買う」という口実も設けた。「この間買えなかった本も買うぞ」よし、これで飲みに行くのが目的ではないのだ。そして晴れて、ウイルスをもらうのだ。もらったウイルスで、額田課長もろとも、死ぬのだ。心中?あんなおっさんと心中してたまるか。復讐?これは復讐なのだろうか?むしろ、"特攻"ではないのか?死なばもろとも。

電車を降り、階段を下る。1年前はマスクも必要なかったし、友人との待ち合わせでウキウキしながら下った階段だが、今は全く違う意味でウキウキしている。死を目前にしたとき、死を意識したとき、人はウキウキするもんなのだろうか。終活だの断捨離だの言っている人の目が輝いている意味が、何となく分かる。せっかく死ぬんだから、うまいものを食べてからね。

I駅を降りると、空いているとは噂ばかりで、人の行き来が多い。まずは腹ごしらえ。鮪を売りにしているという、目の前の居酒屋に直行する。生搾りチューハイと刺し身におにぎりのほろ酔いセット。量も多すぎず、ちょうどよいではないか。店内も、U駅やK駅の居酒屋とは異なり、無謀そうな若者が大声で笑い合っている。

「はい、お姉さん、ほろ酔いセットね」
大学生くらいのバイトも、なれなれしくて可愛い。子供がいたら、あれくらいなのかなあ。二階の物置か、夫の部屋にあんなのが住んでいたら、幸せだったのだろうか。早すぎず、じっくり時間をかけて、チューハイと飛沫を吸収する。なんか、手応えが有ったような気がする。

店を出て、サンシャイン通りへ。人通りは少ないのかもしれないが、それでも十分に多い。特に用はないが、東急ハンズを端から端まで見て回り、サンシャインの地下で若者の飛沫を浴びる。サンシャインをでたら駅に向かい、電気量販店でコードレス電話の子機の電池を買う。これから死ぬのに、子機の電池はなかろうという気がしなくもない。

そして仕上げに、安さが売りの鳥の居酒屋チェーンへ。一度来てみたかった。からあげと焼き鳥と生搾りチューハイを注文すると、自分で絞るタイプであった。焼き鳥が思ったより多く、締めのご飯を注文できなかった。釜飯を食べてみたかったんだけれど。

いつもより、更に満足感を得た状態で電車に乗り、帰途につく。帰りの電車が混んでおり、やっぱり東京は遠いなと思う。よくよく考えれば、家からI駅も、会社までも、どっちも40分だから変わらないのだけれども。

7.

 I駅に行ってから2日目。朝起きたら、喉がいがらっぽくなっていた。やった来た。熱は36.2度全く平熱であるが、これから来るに違いない。よし、覚悟しておけ、額田課長。

こうなってくると、いつもはうっとうしかった課長呼び出しがとても嬉しくなる。

「前も言ったけどさあ…」

言って。もっと言って、その最低なセリフ。
顎を掻くふりをして、マスクをもちあげ、音にならない程度に咳をする。喉が痛いのが引かない。いい兆候だ。

「…で、なんで子供もいないのに、いつも早く帰ってんの?」
あんたよりも遅く帰ってますが?

「…これくらい完璧な見積もり例とチャート書いてくれない?これくらい出来ない?」
そのチャート、私が作ったやつですよね。えらいえらい、まだ持ってたんだ。

「見積もりが間に合わないっていうのなら、相手の会社に行って貰ってきたらいいでしょうが」
行きますよー。いくらでも。もうどうせ死ぬんだし、いくらでも行っちゃう。

すべてがどうでも良くなると、なにか楽しくなってくる。就業後もあえていちばん最後まで残って、課長の席のあたりで咳をしてみたり、椅子やデスク、コップにベタベタ触ってみたり。

8.

 症状がひどくなって自宅待機を命じられる前にと、帰りのスーパーでは大量に買い込んだ。と言っても、治る気はないので、楽しむ用だ。チューハイのロング缶を10本。鎌倉ハムのカルパスや辛イカ、遠足に行く気分だ。プリンは…お徳用の3つパックでいいか。この境遇で節約してしまうこの性格、死ぬまで治らないな。

翌日。熱っぽいと思ったが体温は36.5度。喉の痛みのあるまま会社に向かい、前日同様に楽しく過ごす。

「吉原さん、楽しそうっすね。なんかいいこと有りました?」
福井くんだ。
「ちょっとね。福井くんは体には気をつけてよね」
「当たり前ですよ。あー、課長コロナで死なねえかな」
「口に出すとまずいよ。言霊って有るし」
「そうですよね。課長がコロナで死んでほしい」
「そうね、死んでほしい」
「お、意見が一致しましたね」

更に翌日。体温が37.2度まで上がった。すこしだるい。しかし、出勤停止および検査義務の基準は37.5度を超える必要があるので、黙って出勤する。自己申告の体温は "36.7度" と書いておいた。喉が痛い。しかし、肺などの痛みは感じないし、鼻水なども出ない。

「吉原さん、ちょっといい?」
くっそー、課長はピンピンしてやがる。

「あのさ、昨日取ってもらった見積もりな、あれ、やり直し」
「は?どういうことです?」
「うーん、ごめん、新館全体分のLANケーブルの見積だったのに、1~3階のフロアしか書いてなかった」
「ああ、そういうことで」
「…うーん、ちょっと熱っぽくて調子でないんだよなあ。熱自体は36度代なんだけど」

よし、なんだかしおらしくなったということは、体調不良のようである。これはいい傾向だ。明日辺り休もうか。

その翌日。熱が37.5度になったので、会社に電話し、出勤できないこととPCR検査を受けることを告げる。

「ああ吉原さん?大丈夫ー?コロナじゃなかったらいいねー」
人事部の三宅さんである。2つ年下だったと思う。

「あのさ、聞いた?額田課長。発熱で休んでるんだって。吉原さん、それもらったんじゃないよね?」
逆だ。私がうつしたのだ。

「それでさー、総務の角山さんていたでしょ。あの人も2日前から休んでんの。なんか聞いたら、額田さんと不倫してるって言う噂で」
あれ?

「あ、ごめん、いらないこと言っちゃった。忘れて。PCR検査の結果報告してねー」

9.

 PCR検査の事を問い合わせるため、保険所に電話をする。

「はい、どういった症状でしょうか?」
「数日前から喉が痛く、今は体温が37.5度ありまして」
「はい、数日前とは、具体的に何日ですか?」

ここ2週間の行動を聞かれたが、もちろん、飲み歩いていたことなどは言わない。その後、連絡先等を聞かれた上で、N市民病院の発熱外来を紹介された。

「えーと、N市民病院は、隣の駅ですか」
「大事なことですが、公共交通機関は使わないでください」
「えっ?」
「できるだけ徒歩もしくは自転車で。どうしようもない場合はタクシーで」

いや、タクシーに迷惑はかけられない。
N市民病院までは約7km。やむを得ないので、自転車で向かってみることにする。

熱があるので意識が朦朧となりながら自転車を漕ぐ。秋も深まり涼しくなってきたとはいえ、日向を走っていると、熱のせいもあるのか、汗が止めどもなく流れていく。タオル持ってくるんだったなあと思っていると、後ろからクラクションを鳴らされ、あわや用水路に落ちそうになった。事故に合うわけにはいかないんだよなあ。いや、事故にあえば、その場で緊急PCR検査をしてもらえるかも、なんて考えていると、信号を無視して進みそうになる。

隣駅の横の坂道を自転車を引きずって何とか上がり、N市民病院に着くと、病院駐車場にテントが張られており、原発作業員のようなツナギを着た看護師たちが忙しそうに働いている。

「こちら、発熱外来です。今日はどういった症状で?」
「数日前から喉が痛く、体温が37.5度で」
「はいわかりました。まず体温測ります。そのままで…あれ?…36.8度、普通ですね」
「朝は37.5度有って」
「えーっと、どうしますかね、まあいいか、PCR検査受けますよね」
「受けたいです」
「保健所には連絡しました?」
「しました」
「えーと…これかな?ヨシハラさん」
「そうです」
「じゃあ、この入れ物とこれ持って、まず説明を読んでください。ツバは人がいないところで取ってください」

プラスチックの試験管と説明書を渡された。唾液でPCRを行うタイプらしい。試験管を看護師に渡す。

「えーと、2時間かかるんですが、お待ちになります?」
「ここでですか?」
「そうなんですよね。明日電話連絡でもいいですが」
「じゃあそれで」
「明日の9時以降に電話連絡しますので」

また自転車で7km帰るのか…。

10.

 翌朝。熱は36.7度。熱が下がってしまった。会社の方は、PCR検査の結果を伝えなければならないので、連絡は待機することにした。9時2分、スマートフォンがなる。本当に時間通りに連絡してくるんだな。さすが、お役所仕事。

「ヨシハラさんですか?」
「はい」
「検査結果ですが、陰性ということです」
「は?…陰性?」
「そうです、よかったですね」
「え…」
「喉が腫れているということなんで、近くの内科医を診察してください。PCR結果は陰性と伝えれば大丈夫です」
「あ…」
「それでは、お大事に」

しばらく唖然としてしまったが、仕方がないので会社に電話する。

「あ、吉原さん、具合はどうです?」
三宅さんは今日も明るい。

「陰性…でした」
「よかったですねー。額田さん、陽性だったんですよー。しかも一気に悪化して、いま人工呼吸器をつけてる」
「えっ?」
「それでー、福井さんたちも濃厚接触者でー、今日は検査受けに行ってもらってるよ」
「…はあ」
「それでねー、他の課でも数人、発熱者が出ちゃってて、どうやら喫煙所経由っぽいの」
「…ええ…」
「吉原さん、聞いてる?まあ、吉原さんPCRで陰性だったから大丈夫だし、まあ出勤停止のままにしとくから、ゆっくり治しておいでよ」

電話は切れた。
恐るべし、言霊。

しかし、死ねない。

(おわり)
(本作はフィクションです)

(2021年2月頃執筆)