84. あるきクラブ (連載) その2。

(その1 https://note.com/tikuo/n/nc0bd647ab319?magazine_key=m73a5a46ec443 )

2. O駅から1km地点。

O駅前から、デパートの脇を通り、南に向かう。再開発地域のため、マンションと空き地が交互に有り、突如、ヨットのあるバーや専門学校やらが姿を表す。その一方で、道は幅が狭まったりする。

「あーここのパンねー、一回食べたんだよね」
辰巳さんが指差すのは、元祖高級食パンのチェーン店だ。
「おいしいけど、800円はないかなー」
「やっぱりおいしいんですか?」
のぞみも興味が有るらしい。

「うーん、おいしいといえばおいしいけどさ、ウチの場合みんな味オンチだから、スーパーのパンでいいかなー。ナントカ堂っていうところで、200円くらいの食べても、違いがわからなかったなー」
「ふーんそうですかー」

道は一旦、住宅地に入るため、私は二人に声をかけた。
「結構ここ、車くるんで、注意してください」
「はーい」

「なにこれ?」
のぞみが指差した先には、たこ焼き屋の看板の下に『めだかすくい』の文字が。
「メダカって食べられるのかねえ」
辰巳さんも悪ノリをしているが、メダカとたこ焼きが別の店舗なのだろう。

「ところで、のぞみさんは、今日はどういうとこ寄りたい?」
以前にちゃん付けで失敗しているので、ためしにさん付けで呼んでみた。
「…さん?」
のぞみは、呆れたような目でこちらを見てくる。"ちゃん"も"さん"もだめか。
「あー、わーったよ、のぞみ、はどこ行きたい?」

「…えっと、楽器屋?あと本屋かな」
「楽器?」
「安いので」

「じゃあ古本市場とブックオフと、U駅近くのリサイクルね」
えらそうに言っているが、単に私がいつも寄る店ばかりなのである。

「ねえータケイ。そろそろ1kmくらいー?」
のぞみはすでに飽きてきているようだ。
「うーん、出て15分くらいだからそんなもんかな。1時間に4kmちょっとだから、10kmで歩いている時間は3時間くらいやね」
行く手の右手には、タニタの食堂の入ったホームセンターが有る。

「え?そんなもんなの?ていうか、ペース遅くない?」
とのぞみ。
「そんなもんですよ。時速4km。1分で70mだよ」
私が答える。

のぞみはスマホの地図で検索している。
「えー、じゃあ浦和まで7kmってことは、2時間かからないってこと?意外に近いなー」
「これがね、夕方前まではかかるんよ。休んだり、寄り道したり。それに、大体2~3割距離が伸びるから、今回は10kmになるから」
「…へー」
「そうそう、歩くコツだけど、『歩くことを目的にしないこと』な。距離を競ったり、速さを競う歩き方をしたら、絶対に挫折する」
「ふーん」
「じゃあ、早速、ホームセンター寄ってみますか?途中に、もう一軒有るけど、こっちのほうが面白そうだし」
我々は道を渡ってホームセンターに入る。元病院だった敷地に、ちょっと小洒落たホームセンターができたのは2年ほど前だ。

「まだ1kmだけど、一旦休みます。最初の注意なんかも忘れてました」
「へえー。なんかおしゃれなホームセンターじゃん。スゴーイ、明るーい」
辰巳さんははじめて来たようである。

「この上に、T社の食堂が…」
「そうそう、あそこ、量が少ないんですよっ!」
私が言おうとしたところに、食い気味にのぞみが補足する。
「少ないんだ…」
「うん、絶対に少ない。あと、味が薄い」
「それはいいんじゃないの?健康的で」

「ところで、靴の中で足が滑ったりしてないですか?」
二人に聞く。
「うーん、ちょっと滑るかも」
辰巳さんは、ちょっと不安そうである。

「じゃあ、ここにダイソーが有るみたいなんで、中敷き買いましょう。1階、奥ですかね?」
「うん、そうする。あー、のぞみ薬局だって」
「…」
辰巳さんにからかわれて、のぞみは照れた。こういうのは何歳くらいから恥ずかしくなるものだろうか。6歳の我が娘は、いまだに同じ名前の店があると、喜んで看板前で写真を撮っているのだが。

「飲み物は大丈夫ですよね。街なかだから特に気にすることもないけど」
「私はスポーツドリンクを持っているから大丈夫」
辰巳さんが自慢気に言う。
「あー…大人は、甘いのだと口がベタベタするんですよね…」
「お茶買っとこ…」

辰巳さんはウレタンのカップインソールを、レジでハサミを借りてちょうどよいサイズに切り、シューズに入れた。

「うん。しっかりした感じ」
「あと、靴紐は、こんな感じで足の甲の真ん中あたりを締めると、より滑りにくくなります」
「さっきから思ってたんだけど、タケイの靴、派手じゃね?」
のぞみに言われた。ブルーのマーブル模様で、紐は蛍光黄色に替えている。
「あーこれ、通販で1000円の靴」
「1000円なの?」
辰巳さんもさすがに驚いたようだ。
「そうそう、凄くシンプルで、フニャフニャだから、こうやって…かかとも踏めるんで、海外旅行の飛行機の中ではスリッパにしたりできるんですよね」
「へえー。ウチのパパに買おうかな」
「『1000円スニーカー』で検索したら、通販のサイトが出ますよ」
「…これかー。オレンジとか有るんだ」

「ところで、足が滑ったらなんか悪いの?」
のぞみが聞く。
「そうねー、10km位を境に、足の裏にマメができるね。できたら辛い。あと、こう…」
ちょっと前重心にして後に足を伸ばす。
「こんな感じで、後ろ足でグイッと体を押す歩き方をすると、マメができる」
「じゃあ、後ろがいい?」
辰巳さんが聞く。
「いや、できるだけ真っ直ぐ。昔、なんとかいう振付師が言ってたような気がするけど、頭を上に引っ張られるようにして、背筋を伸ばす」
「ほー」
「そうすると、自然に足が動くのね。それで、できるだけ足ががんばってるって感じないスピードで歩くこと」
「ふむふむ」

「あ、そういえば、万歩計が1つありますけど、持ってみます?今で…家からだけど2400歩くらい。リセットしますか」
「じゃあ私持つー。腰につけるの?」
辰巳さんが名乗り出た。

「いや、これは3Dセンサーなので、カバンかポケットでいいです。距離なんかは、歩幅が初期値になってるから、無視してください」
「へえ…173cmで、66kg。痩せてんねー」
辰巳さんはいらんところもさわるのである。

「でも、速さとか距離、歩数をあまり気にしないのが、疲れずに歩くコツですよ」
最後に釘を差しておく。
「景色を見るとか、花を見つけたら写真を撮るとか、変な名前の店の写真を撮るとか、そういうことを目的にすると、自然に10kmなんて歩けますから」

*


「じゃあ行きますか」
私は二人に声を書けた。

広い歩道で天気も良く、日差しの下を歩くとすぐに汗がにじみ出る。昼に近い時間帯ともあって、南北の道路にはほとんど影がない。

「あれ?スーパーアリーナかな?」
辰巳さんが指差す先には、平たい建物のごく一部が見えている。
「あ、スーパーアリーナって、あんなに大きいのに道路からはほとんど見えないんだ」
のぞみも意外だったようだ。

「あ、こんなところにライブハウスが有る。うまくなったら出てみたいなー」
「高校生も出るの?」
私はのぞみに聞く。
「ユカとか先輩は、時々浦和あたりのライブハウスでやってるらしいんでー」
「でも、誰が見に来るの?」
「チケットは友達とか、他の学校のバンド仲間とかみたいですね」
「仲間内で互助って感じか…」
高校生バンドも、普通は貧乏なのに大変そうだ。

「そろそろK駅ですよ。一駅目」
「ねえ、知ってる?」
辰巳さんだ。
「ここの本屋、安楽亭って焼肉屋の本社なんだよ」
「あ、それであの看板ですか」
「この辺、地味にいろんな会社の本社があるんだよね。リクシルは道のあっち側でしょ」
「へえー」
「いや、ウチのパパが企業向けの不動産とかやってるから、結構詳しいんだよねー」
辰巳さんは自慢げである。


「あ、この本や…」
のぞみがなにかを思い出して、言いかけて止めた。
「何?」
「なんでもない。いい」

「そういえば、このあたりって、埼玉で一番土地が高いところでしたっけ?」
辰巳さんに聞いてみた。
「そうよー。O地区っていうと、高級住宅街よね。ウチなんか一生住めない」

ちょうどそこへ、爆音を奏でながら、オレンジ色のスポーツカーが通り過ぎていった。

「あれって、フェラーリ…?」
のぞみが私に尋ねてきたが、こちらもよくわからない。

「うん、なんか高そうな車だということはわかるが、車種はわからん」
「男の人ってそういうの、詳しいんじゃないんですか?」
「ほっといてよ」

*

「さて、しばらく遊歩道歩きますか。まだバラの季節じゃないから、ちょっと寂しいですけどね」
「バラが有るんだ、ここ」
とのぞみ。
「そうよー。もっと先のほうだけど、このあたりは、バラの街って言われていて、バラ園も有るんだよー。ウチも戸建てに越して、バラ育てようかなー」
辰巳さんは、園芸にも興味が有るようだ。

「ところでさ、のぞみちゃんちさ、古谷さんのお父さんも背が高いでしょ?」
辰巳さんが聞く。
「えーと、180cmくらいですかね」
「それで、スラッとして、東京の会社員ーって感じするよね」
「そうですか?」
「お母さんは普通だっけ?」
「母は、私よりはちょっと低いですよ」
「なんか、夫婦ともおしゃれだよねー、ウチと違って。うちのパパも私も、こんなドーン、コロコロ~て感じの体型でしょ?」
辰巳さんが卑下モードに入った。
「いや、年齢的にそれが普通じゃないですか?ウチの奥さんも子供生んでから肉がついて、まあ年相応かなって」
フォローをしたつもりだが、フォローになっているのかどうかわからない。

「え?のぞみちゃんのお父さんって、おいくつ?」
「えーと、42歳かな」

「「若っ!?」」
私と辰巳さんの二人でハモってしまった。

「わあ…。すごい年下だ…」
「…年下ですねえ」

「辰巳さん、おいくつでしたっけ?」
「え、ええ?私?…ええと、あの、18歳かな」
「いや、そういうのアレなんで。高校生にはわからんノリですので。あと、ビール飲んじゃだめです」
「えー、ビールくらいは…」
いつもの我々の漫才だが、のぞみは明らかに引いている。
「別にいくつでもいいでしょー」

「あ、桜」
「桜?」
のぞみがスマートフォンを取り出して、写真を撮っている。
「いやーのぞみちゃん、さすがにまだ桜はないでしょー。梅?桃?ねー、武井先生?どっち?」
「あーこれ、カワヅザクラですね。ほら」
銘板がセットされていた。
「あ…桜なんだ…」
「終わりかけですけど、ちょっとここ、影になってますし、寒いですからね」

「ちょ、ちょっと、これは珍しくない?」
辰巳さんは動揺しながら、遊歩道の脇に植えられた白いスイセンを指差した。
「ほー、八重のスイセンですね。あんまり見ませんね」
ふつうの白いスイセンは、外が白で内側にもう一層、黄色い花弁が存在する。しかし、そこに植わっているものは、内側が一層ではなく幾層かに重なり、全て白いのだ。

「ほらー、ウチの建物の入り口にもスイセンって咲いてるけど、白とか黄色の普通のだよねー」
「あれ、退職したKさんから送ってもらって、私が植えたやつですよ」
「あ、そうなんだ。毎年綺麗だなーって」
辰巳さんに植えてることって話さなかったっけ?

(つづく)