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Prospectiveー田中隼人 [2]

田中隼人が持つ「別の顔」とは、年代別日本代表の常連選手という顔だ。

2021年末もオフ返上で年代別代表へ。

ジュニアユース年代からコンスタントな代表選出を重ねていた田中。細谷真大らが奮闘を続けているパリ五輪日本代表世代の台頭が目覚ましいが、ほぼ時を同じくして、田中らが中心となるUー19代表の活動も本格化。各クラブの若手たちが集い、2022年9月開催予定の「AFC U20アジアカップウズベキスタン2023予選」へ向けたサバイバルが始まった。
 
田中は柏レイソルトップチーム昇格後も定期的に代表合宿メンバーに選出。同代表でのポジションは左CBがメインとなるが、「チームでは3バックか5バックで、代表では4バックが基本なので、違いはたくさんありますけど、良い経験をしています」(田中)と前向きに臨んでいる。

「取りどころ」を心得たデュエルは田中の武器。

去る5月にはUー19代表として、フランスはマルセイユ近郊で開催された「第48回モーリスレベロトーナメント」に出場。
 
おそらく均等な出場機会を与えるコンセプトがあったものと推測するが、田中はUー23アルジェリア代表戦とUー19コロンビア代表戦の2試合を戦った。アルジェリアと見事に渡り合ったのちに、ラストプレーでの田中の体をはった守備による決定機阻止で勝利を掴み取ってみせた一方で、同年代のコロンビアには惜敗。両チームの間に漂った実力差を感じさせられた試合でもあった。
 
「チームとしては『世界との差』を感じる結果となってしまったのですが、個人としては『このレベルの相手でもできるんだ』という感触を得ていました。プロになって以降、試合終盤に失点を喫することが多く、その怖さを理解して、現在の課題としていて、必ずこの遠征に活かそうと、こだわって大会に臨んだ部分もあるので、個の戦いというところで言えば、感触はすごく良くて、『十分やれている』と感じていました、特に初戦のアルジェリア戦ではラストプレーで相手のシュートを阻むことができた。自分の意識と実際のプレーか良く表れた結果なんだと思います」

丁寧なタッチと守備者らしい気性も田中の魅力。

 久しぶりの国際大会は6位で終了ー。
 
だが、重要な皮膚感覚を手土産を引っさげてレイソルへ帰ってきた。しっかりと地に足をつけながら、決して全ての若手が得られるわけではない特別な経験を積んでいる。
 
「自分たちはまだ若く、選手として経験が足りていないですし、特に自分はCBとしてプレーしていますから、1つ1つの試合での経験が成長へ欠かせません。自分はレイソルでの出場機会を得られていない現実がありますから、年代別代表の試合で経験を積むことも今の自分にとっては貴重なことです。今回のフランス遠征では180分間プレーできたので、この機会や経験をプラスにしていきたいです」

代表でも特長の誇示よりも周囲との対話を重要視。

そのためにも重要な大会が迫っている。「AFC U20アジアカップウズベキスタン2023予選」は9月に開催予定。8月に予定されている国内強化合宿には田中と真家英嵩、升掛友護に選出の可能性がある。強かに実戦経験を積む土屋巧だって面白い存在になり得る、そんな世代だ。田中はフランス遠征の中であった1コマを用いて特別なモチベーションを告白した。
 
「フランス遠征の中で、『この遠征メンバーが主体になる』という話をされて、身が引き締まりましたし、『チームを引っ張る存在としても期待をしている』とも言われました。自分もそういった姿勢については意識をしていましたし、自分はずっとこの代表へ選んでもらっているので、自覚もある。必ず来年のUー20W杯に出場してその期待に応えたい。自分の幅や可能性を広げるためにも、9月の予選はすごく大事。必ず選ばれて、良い結果を掴みたいです」
 
その静かなる野心の向こう側にあるのは「花の都」だー。
 
2024年に開催されるパリ五輪は田中の目下のターゲット。今回のフランス遠征では同時期にウズベキスタンで奮闘していた細谷たちパリ五輪世代の姿を目に焼きつけたという。
 
「試合もあり、リアルタイムでは見れなかったのですが、刺激的でした。今は1つ下の世代でプレーしていますが、自分はパリ五輪世代でも戦いたいです。ずっと一緒に戦ってきたチェイス・アンリ(シュツットガルト)がパリ五輪世代へ呼ばれ、『自分も必ず!』という気持ちがさらに強くなりました。試合を見ながら、『自分だってやれる』という自信と『今の自分は何が足りていないのか』など思うところはたくさんあった。パリ五輪までのあと2年でその差を埋めていきたいし、この2年間を必ず良いものにして、最終的にパリ五輪で戦っていたいです。そのイメージは自分の中にあります」

盟友・真家とはサイズ感でも違いを放つ。

「ウズベキスタンからフランス・パリ五輪」を目指すというこの壮大なトランジットへ挑む田中の決意は自分を追い込むほどではないが、どこか冷静で頑なのが興味深い。
 
ともあれ、数年に一度、この年代で世界を目指して戦ってきた若手選手たちが、「世界」を経験して以降、レイソルに何を残していったのか、またそんな彼らの価値や誇らしさというものをレイソルサポーターは良く知っている。
 
アカデミー時代から「中山さんや太陽くんと比較されても自分は構いません」と話していた田中にとってはプロキャリア最初の試金石ともなる得るステージ。ある時から続ける歩みは、まるで彼のアイドルありメンターともいえる、中山雄太(ハダースフィールド・タウン)や古賀太陽を追いかけるかのよう。

自ら「背番号4の系譜」を担う気概も頼もしい。

「中山さんは自分にとってのきっかけの人。『レイソルアカデミー育ち』という共通点があって、ずっと見ていた存在。レイソルでデビューをされて、ものすごいスピードで遠くに行ってしまいましたが、今でも憧れの存在に変わりはありません。中山さんや太陽くんたちが主力として定着していったり、選手として価値を上げていった年齢やスピード感は今の自分の理想や物差しとしてあります。まだまだ遠い存在ですけど、ずっと『雄太や太陽と似たタイプだ』とも言われます。うれしいですし、もちろん意識はしています」
 
小学5年生時に観戦した柏Uー18時代の中山のプレーに大きな衝撃を受けて、数多くあった誘いをすべて断りレイソルアカデミー入りを決意。中学生時代の校内掲示物に「憧れの人:古賀太陽」と書いた純粋なサッカー少年は、プロサッカー選手になり、レイソルの期待の若手選手、または年代別代表の有望株として、田中には2人にも似た歩みを続けている。

パリ五輪まであと2年。どんなことも可能だ。

彼の未来についてのポジティブな予感を記すのはこちらの勝手だが、彼がそれらの予感を軽く飛び越えていくのもまた勝手。現在はまだ「J1リーグデビューほやほやの若手の1人」といったステータスといった具合の選手だが、いつかこの焦ったい拙稿がタイムカプセルとなってくれていたら幸せだ。
 
ただ、今は9月が待ち遠しい。

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