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プロミシングヤングウーマンを見て思い出したり感じたりのいろいろ

前職の休憩中の雑談で、私以外は男の子の母親たちだったのだが、

知り合いに校内で性行為をして退学させられた優秀な男子生徒がいたそうで、まさにプロミシングヤングマン的意見をリアルに耳にした事や、

スカート履くから触られる、慎まないから酷い目に遭う、女の方に落ち度があると言う意見を生で聞いて、


私自身その場では『それって変ですよね?その考え方おかしくないですか?』と雑談のテンションで会話に加わったのだが、その母たちが全く聞く耳持たずで(あなたは世代が違うからわからないわよねぇとあしらわれた)家に帰って悔し泣きした事を思い出した。


当時通っていたカウンセラーさんに涙ながらに話すと、挑発に乗ってはダメよ。と対処法を教えてもらい今でも活用している。


性犯罪についての正しい認識が広まりつつあり、性犯罪を許さない風潮が強まる中、世の中はまだまだ加害者に甘い。被害者にも落ち度があったのでは?や、男だからしょうがないなど、無自覚にボディブローをくらわせてくる人がまだまだたくさんいるのを肌で感じた。


私が回復のために関わっている人たちは知識がある人たちばかりだから気が付かなかったが、そこから一歩踏み出したところはまだまだ間違った認識が蔓延っていることを突きつけられてとてもショックだった。


主人公は、死んでしまった友人の無念、明らかに加害者に非があるのにその事がストレートに認められないもどかしさ、自分では全てを解決する事など出来るはずがなく、泣き寝入りして納得ができるはずもなく、それこそ友のため、自分のために試行錯誤しながらなんとか日々を生きている。


主人公は両親と同居しているが、きっと家族の事も考えに考えて、どうしようもなくあの状態なのだろう。もう他人に言われる全ての事はとっくに考え抜いているはず。


それがあの状態。


誰にも主人公を代弁などできない、本人が納得しなくちゃどうしようもない。


そんな中、これでいいのか?もっと周りが言うように少し緩めてみてもいいのではないか?そうしても大丈夫じゃないか?と気持ちが揺らぐもあったろう。でもやっぱり現実は厳しい。簡単に気を許して余計にダメージを喰らうのは主人公本人である。


この苦しみは誰にも肩代わりが出来ない。自分自身が納得するためには、周りがどんなに馬鹿にしたって譲るわけにはいかない。有耶無耶になんて出来ない大事なことなのだ。


見ててどうしようもなく苦しいし、もちろん応援するし、出来れば主人公自身の人生が楽しくなる方向まで持ってこれるのが理想だけれど、実際は理想でしかない事が多いから、こういう結末は当然あるし、フィクションといえど今もどこかで起きている事であり、私にとってはノンフィクション映画だった。


ジェニーの記憶同様、もっとゆとりのある時に見なきゃしんどいなこれは。


全然上手くまとまらないけど完全に自分と重ねてしまう。それにひっぱられて日常が危うくなる。まだまだ解決なんてしていないんだなって思う。



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