noteの存在を忘れるということ
久しぶりに開いたnote。
もう1ヶ月以上放置していた。
これを三日坊主(個人的には三日坊主の範囲内)と扱うか、自分の過去や内面と向き合う時間が取れず忙しく過ごしているからむしろ良い傾向だとするか。
正直、過去や内面と向き合うのは疲れる。
視野も狭まる。
何かにつけて過去のせいにしがちになる。
そんなときは全てが敵のように思えてきて、日々過ごすのがもうとても嫌になって、落ち着いて考えれば何もない平和な日ですら『1日長生きしてしまったマジだるい』になってしまう。
ああなんてもったいない!穏やかで平和な一日こそ私が望んでいるもののはずなのに。
暗い過去や辛い経験をなんとか乗り越えたい、なんとかして楽になりたい。
向き合うことは一つの方法だけれど、絶対の方法ではないんだな。
それ以外が占める割合を増やせば、嫌なものの量は減ったように感じられる。
頭ではわかっていたけど、実際そうだ。
いまだに前の職場で言われた事やその言った人が私の中に居座っていて、隙あらば攻撃してくる。
もう会うことはないし、その人の顔色を伺う必要もないし、こんな事してたらその人に指摘されるだろうなとか、そんな事考えなくてもいいのに。
私の中には自分を痛めつける思考回路が出来上がっていて、なかなかそれをゼロにするのは難しい。
でも今はそれに気がついて、そんなことしなくていいよ、頑張ってるし、頑張ってなくてもいいじゃない。楽に過ごす事は悪い事じゃないよ。って言ってあげられる私もいる。
うん。大丈夫。
たまにこうやって自分のタイミングで、書きたいときに書けばいいんだ。
大丈夫。今の自分が一番正解だ。