じゃあ一体、誰の目を気にしたらいいのか
「他人の目を気にせずに生きよう」
こんな言葉、いっぱい言われてきたしわかってる。
もしかしたら、周りの友達からしたら俺は他人の目を気にしない方なんかもしれへんけど、自分の中では他人からどう見られるか、つい気にしてしまう。
SNSのいいねの数、自分の活動や作品への感想、自分がいないところで自分のことをどんな風に言われているのか、、、
承認欲求があるから、その欲求を他人に投げつけて、認めてほしがってる。悪いこととは思わへんけど他人に期待してる状態になっちゃうのはなんかヤやなあ〜と思った。
人は、想像以上に他人に無関心で、俺が何をしようが多分次の日には忘れられてるのに。でもどうしてもつい他人の目を気にしてしまう、もっと言うと多分、他人の評価が落ちるのを恐れてるんかなあ。
日記にするんじゃなくてnoteに書いてるのも、他人に見られるから書いて、発信してる。この投稿がどういう風に見られるのか知りたがってる。
この、〇〇しないでおこう、というルールみたいなのが窮屈感を生んで、結局無意識に、さらに気にしてしまうのかも、と思ってたから、じゃあ逆に誰の目を、誰の評価を気にしたらいいのかなと考えることにしてみた。
どうしたら、自分が好きなこと、自分だけの目的を、自分が褒めてあげられるようになるんやう、それで満足感が得られるんやろうか。
この問いかけが正しいのか、答えがあるのかなんてわからんけど
今の自分を客観的に見ることが苦手やから、せめて今の自分が昨日の自分を評価してみようかな。明日の自分が今日の自分を評価して、明後日の自分が明日の自分を、、、という具合に。
「明日の自分の目を気にして生きてみる」
明日の自分は「とりあえず雑然と何もまとまってなくても何かに思いを書き殴っておけ!」と言いそうなのでぶわーっと書きました。