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「顔」の大事さを知った。

顔は重要だ。
それも、一人一人ちがう、ということが。

ある日を境に、夫が子どもへの関心を強めた。
それまでは検診で聞いた話を伝えても、
もらったエコー写真を見せても、生返事だった。

自分の子どもが今どうなっているのか、
経過に興味があるというよりは、
妻の話を聞いてあげている、というスタンス。
(それだけでもありがたいのだけど)
私が話をふらない限り、
自分から子どもの話題を出すことは滅多になかった。
意識になかったのだと思う。

でも、彼女の顔を見たことで変わった。

その日の検診では静止画ではなく、動画で記録をもらった。
今どきは病院で見るエコーの映像を、スマホで再生できる。
技術の進歩はスゴい。
手元でじっくりbabyの様子を見ると、
すっかり人間らしくなっていて、
説明を受けなくても、目鼻立ちまでハッキリ分かった。

検診後に予定があった私は、
もらった動画に「美人かもよ(笑)」とコメントをつけ、
夫にシェアすると、そのまま出かけた。
帰るコール(帰るLINE?)のような、業務連絡でしかなかった。
添付はしたものの、再生しないかもしれないとも思っていた。

ところが、家に帰ってみると、驚いたことに、
もう何度も動画を見ていたらしい。
ビールを片手に、酒の肴(!?)にしていた。

鼻から口元にかけて、夫に似ている気がすると言うと、
じっくり動画を見た夫も同じように感じていたらしく、
いつになく話が弾んだ。

「子どもの名前は大人っぽい方が似合うんじゃないか」
とも言う。自分から。

顔が見えた、というだけで、
こんなにも関心度が変わるとは思わなかった。

でも、夫だけではないかもしれない。
私自身も顔が見えるようになったことで、
人として、リアルにイメージできるようになった気がする。

初めて心音を聞いた時は、涙が出るほどうれしかったし、
その後、小さな手やポチポチ並ぶ背骨が見えた時は驚いた。
映像で見る赤ちゃんの様子は新鮮だったけれど、
それは、一方的な「胎児の観察」に近かったのだと思う。

お腹のなかで動くのも分かるようになり、
さらに、こうして顔が見えたことで、
観察ではなく、「私と●●ちゃん」という、
人vs人の関係に意識が変わりつつある。

私が、母として関わることになる、ひとりの人。

この子はどんな子なんだろう?
何が好きで、どんな性格なのかな?
早く会ってみたい

そんな気持ちが自然と生まれた。

ほぼ恐怖でしかなかった出産が、
ちょっと楽しみになった。

顔は一人一人みんな違う。
似ている人もいるけれど、完全に一致する人はいない。
顔は「その人は世界に一人しかいない存在だ」
ということを表している。

妊娠し、出産すること自体はありふれたこと。
どんな時代でも、どんな国でも起こってきたことだけれど、
私たちと彼女の出会いは唯一無二。

美人だったらうれしいし、
自分たちに似ていたら情がわくかもしれない。
でも、何しろ、他にはいない子だ、というのが大事だ。

明日の検診ではまた、
ひとまわり成長した彼女の様子を見ることができる。
今度は表情も見えたりするんだろうか。
どんな顔を見せてくれるのか、今から楽しみだ。

* * *

…と書いた翌日。
やっぱり、エコー写真を持って帰ると、
夫の食いつきが違った。

生まれてきて、目と目を合わせられるようになったら、
どうなっちゃうんだろう?

私も夫も、親バカ必至だ。




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