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320円の冒険

鬱屈とした気持ちをどうにかしたくて、子どもの頃にやりたくてもできなかったことをやろうと思い立った。たとえば、バケツいっぱいのプリンを食べるといったようなタイプのことを。

かといって、散財する気はない。思い浮かんだのはサーティーワンのアイスクリームだった。しかも絶対に買ってくれなかった、むしろ買ってくれるとは思えなくて、ねだった記憶すらない、チョコミントのアイス。

ところが近所にサーティーワンがない。わざわざ出かけていく気にもなれず、しばらくペンディングになっていた、この小さな冒険は買い物に入ったスーパーの入り口で唐突に始まった。

オーガニックハーブティやノンカフェインのお茶を扱っていた専門店エリアがいつのまにかサーティーワンになっていた。あの、カラフルな世界!ストロベリーの赤、バニラの黄色、ソーダのブルー、そして、ミントグリーン…

暖かくなってきたとはいえ、まだ肌寒い。時間も昼どき、おやつにはまだ早い。しかも、冷えを気にする、いや、気にするというよりは、冷たいものが欲しくなくなってきたお年頃だ。食べたいとは思ったけど、今なのか。

一度、素通りしてみる。冷蔵庫の中身を考えながら、夕飯の献立を検討しつつ、野菜を選ぶ。いやいや、今日はいいでしょ、という大人の判断に逆らうように、頭のなかではアイスコールが鳴り響いている。

魚売り場を通り過ぎ、野菜売り場へ。ついでに昼ごはんを買おうかと思うがアイスコールは鳴り止まない。アイスを食べられるなら、昼は何でもいいというその声に負け、さっさと会計を済ませ、目的の場所へ向かった。

ああ、アイス!楽しげなキャラクターが並び、子どもを楽し恐ろし“ちゃくしょくりょー”の世界へと誘うサーティーワン。子どもの頃は足を踏み入れることもできなかったサーティーワンの前に私は立った。

アイスを買っている女性がいた。子どもはいない。何だか勇気づけられ、色とりどりのアイスがずらりと並ぶ冷蔵ケースを覗き込んだ。散財する気はない。昔からアイスはコーン派だ。はなからシングルコーンと決まっている。

この中から1種類。チョコバナナ、いちごみるく、抹茶にさくら。チョコミントよりおいしそうに見えるアイスも多くある。正直、子どもの頃だって、チョコミントが食べたかったわけじゃない。ミントは苦手だ。

おいしくないアイスを買うぐらいなら、イチゴバナナあたりで手を打とうか。でも、私の中で、絶対に買ってもらえなかったものの象徴がチョコミントなのだ。かき氷のブルーハワイと双璧を成す、鉄壁のダメアイテム。

たかだか数百円のこととはいえ、おいしくないものにお金は使いたくない。アイスコーナーに立つことさえ恥ずかしかったのに、気付けばショーケースの前をウロウロと行ったり来たり、店員に目で追われている。

そうだ。決めた。やっぱり、ここはチョコミントじゃなくちゃいけない。イチゴやバニラで手を打ったら、鬱屈とした気持ちを吹き飛ばすことはできないはず。「シングルのコーンで、ミント。あ、チョコミントで」

お金を払った私の前に差し出されたのは、あの緑と茶色のまん丸いアイスだ。記憶の中のミントグリーンより、ちょっと濃い色をしている。私のイメージのなかではもっと嘘っぽい明るい緑だったけれど。

ピンク色のプラスチックのスプーンがのったアイスを持ち、そそくさと専用椅子に座った。うん、恥ずかしい。ゴミ箱の影に隠れるようにするが、そんな私を見て、親子が会話している。

「アイス、食べようかな。やっぱり帰ろう」「え、アイス食べるんじゃないの?」女の子はお母さんに確かめるが、お母さんはふとよぎったアイスへの気持ちを振り払ったようだ。

急いで、スプーンを突き刺し、口に運んだ。うん。まずい。歯磨き粉のような味がする。食べた瞬間に禁断の甘さに酔いしれることを想像していたが、何ともいえないミントの味に、我に返る。そうだ、ミントだった。

うん、まずい。これで終わりにしたい。もともと冷たいものを食べたい気持ちは少しもなかった。サーティーワンを見つけて、ちょっと興奮してしまっただけだ。このまま捨てたい。コーンだけ食べて終わりにしたい。

「もう要らな〜い」「え、もったいないじゃない。自分で選んだんでしょ!」「最後まで食べなさい」「おいしくない」「じゃ、食べるから、ちょうだい」脳内で架空のシーンが再現される。

もし自分が子どもにアイスをねだられた立場だったら、半ギレだろう。どう見ても色でごまかしただけのアイス、安くはない、栄養にすらならないのに、仕方なく買ってやったものを、一口食べただけで、もう要らないだと!

捨てられない。食べてしまおうか。でも、食べ物を粗末にするなんて。インスタにあげるためだけに買い、食べずに捨てる女子達を思った。日頃の私なら彼女らを断罪する。迷った。でも、おいしくない。そして今日は冒険だ。

コーンを覆う円錐型の紙を抜き取り、コーンから飛び出ている部分を削り取って押し込み、急いでゴミ箱に捨てた。アイスの埋まったコーンを急いで食べる。いつの間に、白いズボンに小さくチョコミントのシミがついていた。

コートでシミを隠し、そそくさと立ち上がった。買ってから5分も経っていないはずだ。またレジの前を通るのが気まずくて、遠回りになるけれど、反対側の出口から出た。

チョコミントを食べた!サーティーワンを食べた!しかも、おいしくなくて、捨てた!この結末は想像していなかった。何かこう、ギルティな甘さに葛藤を持ちつつも、こらえきれずに食べきってしまうのかと思っていた。

もしも子どもの頃にチョコミントを食べていたなら、2回目は決してアイスを買ってもらえることになっても選ばなかったと思う。自分の意志で。お母さんに買ってもらえそうにないから、ではなく。

お母さんは正しかった。チョコミントは別においしくない。美味しくもないし、栄養にもならない。甘いものが食べたいなら他にもあるし、お腹が空いてるならご飯を食べた方がいい。着色料は身体によいとはいえない。

でも、楽しかった。あのアイスコーナーに並んだ時のワクワク感!この中から1つ好きなものを選んでいい。多分、端から端まで大人買いするより、ワクワクする。何なら、食べなくてもいいぐらい。

しかも、美味しくないから、捨てちゃった!!!!
だって、まずいんだも〜ん。
そのうえ、白いズボンに緑と茶色のシミまで、つけちゃった!!!!!

あああ。次からはもう絶対、買わない。
もったいない。320円あればハーゲンダッツだって買えた。
だけど。今日のチョコミントは絶対に無駄じゃないと思う。

食べられない国の子がいるのだって、知ってる。何なら日本にだって、そういう子がいることも知ってる。だけど、私が食べきらなかったアイスそのものをその子達に届けることはできない。

食べてみたいとすら思っていなかった。それを欲することに対して、怖さや罪悪感すら覚えていた、あのアイス。私はそれを我慢することで何を得ていたんだろう。そして、今それを食べて、私は何を知ったんだろう。






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