3章(2);お互い様の話


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「これ、この間のお返し」

そう言って小さな紙袋を差し出すと、
真崎さんは少し身震いして、ゆっくりとそれを受け取ってくれた。

おやつの時間の、少し前。
『カフェR』のすぐ近く、住宅地の中にぽかりとつくられた
小さな公園の小さなベンチ。
公園には私たちしかいなくて、
動物をモチーフに作られたバネの遊具が、
揺れることもなく、ぽかぽかと日に照らされている。

見た目はまさに春だけれど、今日は少し肌寒い。
ここ数日は暖かい日が続いていたけれど、
まだ、ふいに風の冷たさに驚かされることがあった。
薄いパーカー1枚はおっただけ、なんて格好で出てくるから
震えるようなハメになるのだ。
真崎さんは、自分の体調管理に甘すぎる。

「ありがとう。
 えと、何で? これ、本当にもらっちゃっていいの?」

「何でって、何でよ。
 だからこの間のお返しだってば」

真崎さんはゆっくりと顔を赤くして、
それから、吹く風に誘われたようにくしゃみをした。

顔を赤くしたのは、照れているから。
風でくしゃみをしたのは、花粉症持ちだから。
『カフェのR』のほの暗い明かりの中では真っ黒に見える髪も、
こうして昼の明るい日差しの中で見ると、時々薄く茶色に光る。

真崎さんについて、
少しずつ、知っていることが増えて来た。

あまり表情は変わらないけれど、
真崎さんの感じていることは、感情は、よく顔色に表れる。

私が何かプレゼントしたり、
ふいに手をつないでみたりすると、真崎さんはすぐに顔を赤くする。
あとは、
何か自分の考えていることを、ちゃんと言葉にして伝えてくれた時。
真崎さんは極度の照れ屋なのだろう。
それから、たぶん結構な人見知りだ。
だから真崎さんは、
私の友だちだとかに会わせたりなんかしたら、
きっとまた顔を赤くして、うまく喋れなくなったりするんだろうな。
そう思う。

最初は彼のその様子がなんだかもどかしくて、
ハッキリしないじれったさのようなものを感じてしまってイライラもしたのだけれど、
慣れてみれば可愛らしい。
アンバランスすぎて気持ち悪いと思っていた童顔も、
要は、慣れだ。
今ではもう気にならない。
むしろ年齢よりも幼い人見知りぶりと、彼の幼い顔つきとはバランスがとれている。
身体だけ先に成長してしまったのだろう。
アンバランスなのは、むしろそっちなのだとわかった。

「こないだのって、あれでしょ、ホワイトデーの」

「うん。コーヒークッキーすごい美味しかった。
 真崎さんお菓子も作れるんだね。驚いた。
 あの後私も同じの作ってみたんだけど、
 真崎さんが作ったヤツのが美味しかったよ。今度教えて」

「え、作ったんだ」

そうだけど、と頷くと真崎さんが笑った。

何?
今のどこが笑われるタイミングだったのかが、全然わからない。

「美咲さんてさ、けっこう負けず嫌いだよね」

「!」

その通りだった。

「美咲さんは、
 いろんなことハッキリ言うけど、あんまりいろいろ表情に出ないから。
 最初ちょっと怖かったんだけど、
 でも、することはわかりやすいよね。安心する」

感情が表情に出ないのはお互い様だ。

そうか、怖かったのか。
でも、わかりやすいのか。

「……」

わかりやすい、と思ってくれるようになったのは、
少しずつ、私が真崎さんのことをわかってきたように、
彼も私のことをわかりはじめてくれたから。だろうか。

わからない。
とりあえず付き合い始めて、
すぐに終わるかと思えば案外続けられていて、
気づけばもうすぐ季節も変わる頃で。

何か変わったのだろうか。
私たちは。

「ともかくね、
 だから、クッキーで対抗するのはやめて、パウンドケーキにした。
 塩ケーキだよ。
 しろさん、たしか甘いもの苦手だって言ってたから。
 よかったらみんなで一緒に食べて」

「……うん、ありがとう」

真崎さんについてわかったことは、まだある。

「今、何考えたの?」

「え?」

「何か考えたでしょう?
 だから、少し間があいたでしょう。
 何考えてたの?」

真崎さんは、けっこう適当だ。
何か思っても、それを口にしないで流してしまう。
その適当さは、
優しさなのかもしれないし、人見知りの延長の無口さなのかもしれない。
時と場合によっても変わってくるのだろう。

でも、私は気になる。
そういう時は、私から聞かなければダメなのだ。

「……いや、だってさ、
 バレンタインのお返しにクッキーあげたのに、
 それでまたお返しもらっちゃったら、
 なんかもらいっぱなしっていうか、際限ないっていうか」

聞けばいいだけなのだ。
聞けばちゃんと、だいたいのことは答えてくれるのだから。

「なんだ、そんなことか」

真崎さんは、すぐにこんな小さなことを気にする。
それも可愛いと思う。

私の言葉の続きを真崎さんが待っている。
それがわかる。

「じゃあ、真崎さんがまた私に何かプレゼントしてくれればいいんだよ。
 気が向いた時にね。
 したら、私がまたお返しするから。気が向いたら。
 際限とかいらないでしょ。嬉しいことだらけだよ?」

聞いた真崎さんの顔が、また少し赤くなって、
それから笑顔になった。

可愛いなぁ。
イライラなんて、もうしない。
楽しいような、くすぐったいみたいな、こみあげるような気持ちになる。
この気持ちをなんと呼べばいいのか、私は知らない。


たくさんのことがわかってきた。
でもまだ、わからないこともたくさんある。

たとえば、真崎さんが「出て来た」家がどんなところなのか。
彼は帰る気はないと言っていたけれど、
なんとなく気になってしまって、
通りがかってちらっと見てみるだけだから、と食い下がって、
家の前まで行ってみたことがあるのだ。

行ってみて、驚いた。
真崎さんに言われたその場所には、家には、
違う名前の表札がかかっていたから。

そのことを報告すると、真崎さんも少し驚いていた。
そこにすでに家族がいないことを、彼も知らなかったのだ。
実家が、家族が引っ越していたことを子どもが知りもしないだなんてこと、あるのだろうか。
けれど真崎さんの「どうりで鉢合わせないわけだね」という声は
どうしても、ほっとしたようにしかきこえなくて、
何を言っていいのかわからなくなってしまった。

なんとなく話を変えた方がいいような気がして、
私がかつて住んでいた家の近所の話をして、
ローカルトークのようなものを繰り広げてみた。
すると考えていた以上に、真崎さんは私のローカルトークについてきた。
不思議に思っていると、それに気づいたらしい真崎さんがぽつりと言った。
「美咲さんに伝えた場所に住む前、僕もそのあたりに住んでたことがあるんだ。
 引っ越しは何回か経験しているんだけど、けっこう同じ近所の範囲内で移動したりってことも多くて」
その言葉にも驚いた。
真崎さんは、言ってから「しまった」という顔をしていた。

「引っ越しの多いご家族だったの? 親御さんの仕事の都合とか?」

でも、引っ越すほどの仕事の都合なのだったら、もっと遠くに引っ越すのではないだろうか。

「仕事の都合で、近くにしか引っ越せなかったんだよ」

真崎さんからの答えの意味は、よくわからなかった。
「じゃあ私たち、小さいときに会ったり見かけたり、してたかもね」
私が笑顔でそう言ってみても、「どうだろうね」としか答えてくれない。

わからなかったけれど、
真崎さんはもうそれ以上、話してくれなさそうだったし、
彼の事情も鑑みずに踏み込みすぎるのも申し訳ない気がして、
そのときは話題を変えてしまった。


わからないことはまだある。
真崎さんはどうやら、カフェ以外にも仕事をしているらしいのだ。

どんな仕事をしているのか、何度か尋ねた。
けれど真崎さんは、これだけは決して、詳しくは教えてくれなかった。
お客さんの家に行って、いらないモノを処分する仕事だと真崎さんは言う。それだけだ、と。

ハウスクリーニングのような仕事なのかと思ったけれど、
一度見かけた、その仕事から帰って来たばかりの真崎さんは
そんな道具は何も持っていなくて、
目に見えて疲れきった、青白い顔色をしていた。
心配になって尋ねても、
この話題に関して「語らず」を貫く真崎さんの姿勢は頑固だった。

不安が募ってカウンター向こうのシロさんにたずねてみると
シロさんも真崎さんの疲れ具合には心配をしているらしく
「そうなの、美咲ちゃんも言ってやってよ」と言われたのだけれど、
その心配した様子のシロさんにさえ、真崎さんは
怒ったような困ったような顔を向けた。

真崎さんがシロさんにそんな顔を向けるなんて、思いも寄らなかった。
シロさんとクロさんには頭が上がらないと、真崎さんは常々言っていて、
それは本当にそうなのだろうと、普段の様子からも目に見えて伝わって来ていたのに。

その、シロさん相手にそんな顔を向けるなんて。
怒られたようなカタチになったシロさんは、
なぜか少し嬉しそうに「はいはい、わかりましたよ」と言っていたのだけれど。
シロさん相手でさえこの様子なのだ。
私がただ尋ねて、答えてくれるわけもなかった。


わからないことがたくさんある。
これから知っていくことができるものもあるだろうし、
ずっと知ることができないままのものもあるだろう。

私だって、あまり人のことは言えないのだ。
別に世間的に「期待」されるような罪悪感を抱くことはないけれど、
真崎さんも気にするのかもしれないと思えば、
今までどんな相手と、何人の相手と関係を持って来たのかなんて、
聞かれてもきっと答えられないだろう。
たくさんの相手と関係することで、どうして私は安心できていたのか。
その理由。小さな頃から経験してきたこと。

理由の方は、別に隠すつもりはない。
ただ、言葉にして伝えることを想像するとどうしても
それだけでなんだか気力も体力も消耗してしまうし、
わざわざ言うような機会が訪れてくれないのだ。
言えないのではなく言わないだけ。
それだけの、はずだ。

聞けないことも、
言えないことも、言っていないことも、たくさんある。
それがいいことなのか悪いことなのか、どちらでもないのか、
それも私にはわからない。

わからないままでもいいのかもしれない。
少なくとも、まだ、今は。


また風が吹いた。やっぱり今日は肌寒い。
風のせいで目にほこりが入ったらしく、真崎さんが目をぎゅっとした。
無意識に目をこすろうとする彼の腕を止めると、
言葉にはしなかったのに真崎さんは、止めた私の手の意味に気づいてくれた。

「……」

せっかくだから、
下ろされた腕をそのまま絡めとって、手をつないでしまう。
まだ目をぎゅっとしたまま、真崎さんはまた顔を赤くする。

風は冷たい。
少し雲も出て来たみたいだ。明日あたり、雨でも降るのだろうか。
崩れだした天気。

それでも、春は確かに近づいて来ている。

ぎゅっとした目のままの真崎さんがくしゃみをした。
連続で、2回、3回。
なんだか一人で忙しそうだ。
忙しくても真崎さんは、私とつないだ手は離さない。
それが心地いい。

この公園の、細い桜の枝の蕾はまだ固い。
でも、開くのはきっともうすぐ。

「ね、もう少ししたら、お花見行こうね」

「お花見? うん、いいね」

桜の季節は短いから、
行けるだけ、何度だって行こう。
そのうちの1回は、しろさんとくろさんと、ヒロキも誘ってやってもいい。

もうすぐ春がくる。
今年の春は、きっと楽しいだろう。

(to be continued...)

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