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感動した作品で語り合いたい

「今はストーリーの時代だ」とか「ストーリーが大事だ」と叫ばれて久しいけれど、いきなりストーリーを書こうと思っても、なかなかストーリーは書けない。

だから、まずその前に結論がなかったとしても「とりあえず何かを語る」ことから始めたい。では、どうしたら語りが始まるのだろうか。

ストーリーとナラティブ

いきなりだけど、まずはストーリーとナラティブの違いについて話しておきたい。日本語では、ストーリーとナラティブも同じ「物語」という言葉として表されている。だけど内容的には全く異なる。

たとえば「鉄道ヲタク」と呼ばれるひとが、自分の好きな電車についている語っている姿をイメージして欲しい。
なんとなくのイメージだけど、「この電車のフォルムがどう」とか「あの車両のこの連結部分が最高」とか、なんか自分の好きな車両のフォルムや色、音などを早口に熱弁しているイメージできないだろうか。

それこそがナラティブだ。
ナラティブは物語だが、その物語に結論は全くない。つまりオチがない。関西人が聞いてると、「で、オチは?」と聞かれてしまう

逆にストーリーとは、起床転結の構成がある。
キャラクターや世界観を伝えるための起のシーンがあり、承のシーンでは主人公が希望を抱き、小さな成功を手にする。転のシーンでは大きな挫折をして、結のシーンに向かって壁を乗り越え、大きな成功を手にする。ちゃんとオチ(結)があるのがストーリーだ。

どうしたら語り(ナラティブ)が始めるのか?

ではその上で、
どうやったら語り(ナラティブ)が始まるのだろうか?
一番わかりやすいのは、感動したときだ。
先ほどの鉄道ヲタクの例も、語るのは自分が感動した車両のフォルムや音に関してが主だろう。

では、どうしたら人は感動するのだろうか?
もちろん五感的に美しさを感じた時もあるが、語りたくなるのは「何かストーリーを消費し、キャラクターに自己投影し、共感した」ときだ。

最近『ドライブ・マイ・カー』という映画を観て、職場のひとと一緒に感想戦(語り合い)をした。
「この台詞は良かったね」とか「このシーンはこういうことだと思う」とか言いながら、オチなく語り合ったのだけど、別に映画を評論や批評したいわけではなく、ただ抱いた感情を共有したかった。
ただ「あの映画おもしろかったね」「楽しかったね」だけだと、感情が共有し切れないから「あのシーン良かったね」「この台詞は感動した」と詳しく言いたくなる。だけど、それでも足りなくて「この台詞はこういう意味だと思ってて、このキャラクターの性格や特性が..(中略)..で感動した」とか語りたくなる。

感動した時、強烈な感情を抱いた時は、語りたくなる。
日常生活において感動することもあるし、ひとのナラティブを聴いて感動することもあるだろう。
だけど日常やナラティブよりも編集されたストーリーの方が感動が誘発されやすい。

感動した作品で語り合いたい

「ストーリーによってナラティブ(語り)は起動する」
これが今回言いたかったことだ。

だけど、ストーリーの方が上だと言いたいわけではない。
なぜならナラティブからストーリーが生まれるからだ。

どういうことか。
ストーリーもナラティブも「感/情を伝える」という点では同じだ。
オチがあるか、起承転結があるか。これは表現と演出/編集の違いとも言えるだろう。
ストーリーは読み手、観客、聴衆に感情が届くように、起承転結などの構成を加えたり、オチをつけたり編集をしている。だけど編集する素材がなければ編集なんてできない。
手の加えられていない無垢な感情やその言葉があるから、それを編集し、演出が加えられる。
ナラティブを素材にして、ストーリーが生まれる。

だからこそ冒頭の話に戻るが、自分でストーリーをつくりたかったら、映画やマンガ・小説など他のひとのストーリーを味わい感動して、語り合おう。
なにも無いところからストーリーはつくれない。自分がつくってきたナラティブを編集することで、ストーリーは生まれる。

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