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"場"を開くだけの役割

今年の師走はなぜか忙しい。
務めている会社では、社内のイベントやら、評価制度やら、社内アンケートの導入やらやっている。
会社とは別に所属しているコミュニティであるコルクラボでは、新規メンバーの採用やら、運営やらやっている。

運営をやっていると言ったはいいものの、コルクラボの運営はちょっと複雑だ。
いちおう自分は肩書き上「コミュニティマネージャー(以下、コミュマネ)」になっている。けれど、一般的にイメージされる「コミュマネ」とは若干違う(というか、そもそも「コミュマネ」という仕事がまだまだ一般的でもないけれど)

一般的な「コミュニティマネージャー」の役割

(少ない認知率という前提で)一般的なコミュニティマネージャーというと、「コミュニティを管理する役割・役職」を指す。例えば、コミュニティの入退会処理や予算の使い方、運営ルール、ハラスメント対応などを意思決定・実行する役割だ。
会社に置き換えれば、経営企画だったり、人事だったりするだろう(規模によっては社長)。部活に置き換えれば、監督だったりキャプテンに当たるのかもしれない。
要は「メンバーに関わるルール設計など、意思決定をする役割」が、一般的な「コミュマネ」と言える。

コルクラボの運営方針

コルクラボの運営方針が複雑なので、コミュニティマネージャーの役割も複雑になっている。というのも、コルクラボは運営方針として
「コルクラボに参加している全員が運営の一員である」
としている。

つまり「参加者全員がコミュニティ運営の意思決定権を持っている」ということだ(まぁこれは逆に「参加者の誰ひとり意思決定権を持っていない」ということでもあるけど)

だから方針上は、コミュマネが「新規メンバーを採用したい」と言っても、誰かから異論があれば止まる。じゃあ止まったあとどうするか?というと納得するまで「徹底的に対話する」だ(要は「直接民主制」)

仕事でベンチャー企業に務めている身からすると「なんて贅沢な時間の使い方なんだろう」と感じる。会社だったら社長や管理職の"鶴の一声"で決まるけれど、コルクラボでは方針上は「納得するまで話そう」となるんだから、そう感じるのも無理はないはずだ。

なぜ回りくどい運営方針にするのか?

これは僕も簡単に言語化し得ないが、なぜ納得するまで対話する方針かというと
「長期的に見れば、その運営方針が最もコミュニティの存続性があり、メンバーのモチベーションが高く維持できるから」
だろう。

もちろん誰かに決めてもらう方が楽と思うかもしれない。だけど、自分が納得して決めたことであれば、自ら進んで行動できる。
やらされ仕事だと、コンテキストを理解しきれていないので、どうしてもモチベーションが上がりきらない。
もちろん納得するまでには時間がかかるけれど、長期的な視点で見れば、全体のリターンが高いのは「納得するまで対話する」という運営が効率的なのだ。

方針はそうだけど...

だが方針としてはそうだが、実際はそうも上手くはいかない。
時間が無限にあれば別だけど、時間は有限であり、自分も含めてほとんどのメンバーは本業がある。
だから徹底的に対話する時間をセッティングすることが難しい。
そして、そもそもそういった"場"の設定やファシリテーションが難しい。

だからコルクラボにも「コミュニティマネージャー」という役割が用意され、自分ともう1人が拝命している。

だがしかし、上述の"方針"ではあるので、意思決定権を持っているわけではなく「名ばかり管理職 兼 庶務」に近い。
そしてより現実は、方針が伝わりきらずに「コミュマネの2人が、秘密のチャンネルで運営方針決めているのでは?」という話になったり、「そしらぬ場で、ルールが決まった」という声が挙がったりする。(前途多難である)

直接民主コミュニティにおけるコミュマネの姿

忙しい現代人が大半を占めるコミュニティにおいて直接民主制を取り入れるのは至難の業であることが少しでも伝わっただろうか。コルクラボはそんな挑戦的な運営方針で行おうとしているコミュニティの1つである。

そんなコミュニティにおけるコミュマネの役割は、一般的なコミュマネの姿(意思決定する役割)とは異なるだろう。
そうではなく「意思決定を促すための"場"を用意し、開く役割」なんじゃないかと今のところ思っている。

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