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終わりなき退屈な日常が生まれている

先日、久しぶりに社外の方との打ち合わせに参加した。
たまたま欠席などもあり、自分以外の参加者がベンチャー企業の経営者だった。

打ち合わせは予め決められた通りに進行されて、大まかな内容は一端の人事でも分かる内容だったが、要所要所で経営者だからこそ分かる用語が使われたり、経営視点での悩みが話されていた。

そういった用語や悩みを聞きながら「分からないなぁ」とも思いつつ、ふんわりと「自分も同じように悩みに共感したい」とも感じた。この不思議な感覚は久しぶりな感じもあるが、この感覚はどういう感覚なんだろうか?

「久しぶりの感覚」と書いたが、おそらくオフィスに出社していたとき以来の感覚だった。
オフィスという同じ空間のなかに、他のメンバーが何人もいる。
そうすると、時々自分の席の近くで他のメンバー同士が雑談して盛り上がっていることがある。その時の感覚に近い。
例えば「ELDEN RING」という自分の知らないゲームの話題で盛り上がっていたとしよう。もちろんそのメンバーたちとの関係性にもよるが、良い関係性だったら「ELDEN RINGおもしろいんだ…自分もやってみようかな」とふと思ったりする。そのような感覚だ。

おもしろいのは、話している経営者・雑談しているメンバーは「君の将来に寄与しよう」「あいつの行動を変えよう」という意図は全くないのに、自分が影響を受けてしまうということだ。
言葉にしてみると当たり前なのかもしれないけれど、フルリモートで働いている身としては"無意識な影響"が新鮮だった。

そう考えると、同じ空間に他者と居るのが当たり前だったときは、そのような"無意識な影響"に溢れていて他者の言動や振る舞いに刺激を受け、興味が生まれ、未来がつくられていた。
一方オンラインが当たり前のいまは、自主的・意識的に影響を受けにいかないと、刺激を受けられない、興味が生まれない環境なのではないか。そうしないと「終わりなき退屈な日常」を漫然と生きる人生になってしまいそうな気がしている。

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