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革命の先には・・・

キューバは全てが別世界だった。
1998年、アメリカとの国交は断絶したままの時代。
家庭の日々の食糧は配給の僅かな米、豆、キャッサバ芋、コッペパン、野菜は干からびたキャベツと甘くないトマトがあるくらい。有機農業国家と聞いていたが現実は全く違った。毎朝のエスプレッソコーヒーが唯一楽しみだった。

一般観光客は、国営レストランで、ひたすらモヒートとフライドチキンを喰わされた。
生活用品は限られ、商店のガラスケースには消しゴム、電池、歯磨き粉、石鹸が一個ずつ等間隔に並んで売られていた。
ガソリンは無く移動は困難だった。移動のバスは1日に数本、乗れない理由でどこも諍いが絶えなかった。
キューバの国民は僕ら外国人に声をかけるとすぐに警察に検挙された。医師よりも汚い格好をして路上で外国人からドルを恵んでもらう方が収入が良いとの噂を聞いた。外国人旅行者は米ドルのみ使用でき、キューバ国民はキューバペソでの生活、お金の価値が全く異なった。

壁を隔てはカリブの海
キューバの兄弟・タオと
キューバの母・エバと

メキシコ人の常に心が開いた国民性とは全く異なり、キューバ人は日本人に通じる心を閉ざしたシャイな国民性を感じた。
その原因は、国全土を覆っている古びたオブラートの様なプレッシャーからくるのではないかと想像した。

家裏から哀愁の夕焼けを望む

#キューバ
#革命
#カストロ政権
#チェ・ゲバラ
#社会主義国家

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