TBSラジオで「明治維新150年・特別企画」を聴いた

https://www.tbsradio.jp/229254

TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』で気になる特集があった。今年、2018年が明治維新から150年ということで日本の歴史についての特別編だった。どうやら連続企画のようで、第一弾のテーマは「尊王攘夷」

近代の日本史を考える上ではとても重要な単語だと思う。こういった特定のテーマを元に歴史をさかのぼって、対談形式で掘り下げていく番組はけっこう好きだ。今回ゲストに迎えられたのは思想史研究家の片山杜秀さん。著作「未完のファシズム」「近代天皇論」などを読んで、明治から昭和前期にかけての、通史ではあまり深く語られない思想史や、それに対する面白い考察をされている印象を持っていた。番組パーソナリティ荻上チキさんとの対談とあって、これは是非聴きたいと思った。

はじめに番組冒頭で「尊王攘夷」という言葉の意味に触れた片山さん。「尊王とは天皇が世界で一番素晴らしい、それを世界中に広めさせようというもの。攘夷とは元は中華思想に由来し、天皇が一番なのだからそれ以外の国はその下にあるもの」だと言う。続けて、この思想は世界に目を向けたものであって、決して鎖国しようと言うような閉鎖的な視点ではなく、外の世界(向こう側)まで行ってこの思想を広めるのだ、という考え方があると語っていたが、この部分が何とも印象的だった。まず、尊王攘夷思想とは19世紀前半の水戸学の思想をベースに近代に続く形が作られていく。水戸藩は尾張・紀伊と続いて徳川将軍家に続く地位を持つ御三家であり、彼らには征夷大将軍である将軍家を守るため、いつでも捨て身で江戸に向かう使命があった。ところが、御三家の中でも地位・石高ともに低く貧乏所帯だった水戸藩、彼らには精神的な面で将軍家に命を捧ぐことができるようなアグレッシブな思想が必要だった。そのために、将軍家にお墨付きを与える天皇の絶対性が、思想として昇華されていく過程で水戸学は徐々にイデオロギー化されていったようだ。片山さんはそのイデオロギーの部分で、この思想が持つ昭和前期にまでまたがる共通点を指摘した。海岸線に防人を張り付け、国の警備をするべきだというかつての水戸学の考えと、昭和に入ってからの満州への植民(開拓民という名目で入植させ、非常時には土地を守る兵士に仕立て上げた)は尊王攘夷思想を空間的に拡張させた共通点があるのだという。外の世界まで行くのだ!という考え方は、近代以降の植民地主義・対外膨張主義と地続きになっている発想だと言えそうだ。個人的に近代や帝国について考えるとき、自分たちの外側にある空間について、当時の人たちが持っていた意識に注目することは物事の成り立ちを大きな流れで把握するのにとても役立つと思う。学校で習う通史ではどうしても起こった出来事が順番に並べられているだけで、点と点を暗記するだけになってしまうので、そこにどういう人間の意図が働いていたのかが見えづらい。

その後も思想のかたちが歴史のなかでどう変化したか、水戸学の思想と吉田松陰の思想の違い、明治維新以降の欧化政策によってその思想は消えたのか、尊王攘夷は欧米的な帝国主義・植民地主義と共通項なのか...、などと二人の対談は進んでいった。冒頭で、今回のテーマである「尊王攘夷」という単語の意味をまずゲストの語り口で説明していたけど、なんとなく共通認識で語られがちな大きな単語(明治維新とか富国強兵とか)も、どう語るかでその人の視点も分かるし、そこは考えた事がなかった!という発見もある。誰かの言葉で語られる歴史はやはり面白い。

#歴史 #ラジオ #session22

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