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動画がデジタル教材か?~来るべきデジタル教材を思考する~

ぼくは学校(主に高校)で使う教材(問題集とか)を制作する仕事をしている。
今のところ、教科書も問題集も基本的には紙だ。しかし、小学校や中学校では既にデジタル教科書が解禁されている。

高校はまだだ。
そして僕は主に高校の教材を作っているので、はっきり言って教育現場でのデジタル教科書、もっと射程を広げてデジタル教材がどのように受け止められているのか分からない。

流石にこのご時世にデジタル教材について無知であることは許されない。ちょっと考えてみる必要がある。

ぼくのかんがえたさいきょうのでじたるきょうざい

デジタル教材ってそもそも何?という問がまずあるのだが、さしあたりそれはおいとこう。おっつけ調べよう。

はじめにやりたいことありき。

やりたいことから思考をスタートしよう。
やりたいこととは何か?
それはもちろん完全デジタル問題集だ。

上にも書いたが、今はまだ問題集といえば紙の本ありきで、デジタル対応の問題集があったとしても、せいぜいがその紙面をデジタルデバイスでも見られるようにした程度の代物だ。
(と書いたが、これはウソかもしれない。何しろ不勉強なので……。もう少し業界の動向を知る必要があると思ってこの記事を書き始めたのが実際のところ)

紙の問題集にはもちろん良さはある。良さについても考察してみたいと思う。しかし今は悪さについて考え、なぜ完全デジタル教材が必要が検討しよう。

紙の問題集の悪さには使う側にとっての悪さの他に、作る側にとっての悪さがある。当然の問題ではあるが、世間的にはほとんど完全に無視されている問題でもある。

無視されていること自体は全然かまわない。ただぼくは作る側の人間なので、作る側にとっての悪さがどうしても問題になる。だからぼくは作る側にとっての悪さについて考える。

とりあえず僕のなかで今日問題になったのは次の2点だ(もちろん他にも色々ある。紙には在庫を抱えるリスクがあるとか、保管そのものにコストがかかるとか……)。

1 問題数の増減が許されない
2 問題の差し替えに大きな制約がかかる

1 問題数の増減が許されない

適当な問題集を開いてみてほしい。各問題に、書籍全体での通し番号が振られていないだろうか。

え?振られていない?
それ、正解だよ。

不正解の問題集には(たとえばぼくの担当の問題集)には、書籍全体で通し番号が振られている。そんな問題集の大問1が、差し替えにより大問1と大問2になったとしよう。

するとどうなるか。

旧大問2は新大問3になる。
旧大問3は新大問4になる。
旧大問4は新大問5になる。
旧大問5は……。       

当たり前だが、問題番号が1ずつずれていく。

そしてずれた番号は修正する必要がある。

なんだそんなことか、と思っただろう。

甘い!甘いんだよ!
めちゃくちゃ面倒なんだよ!
Excelのオートフィル的な機能なんてねえんだよ!
全部手動で直すんだよ!

直すのは僕自身ではないが、直すべきところが正しく直っているか確認するのは僕の仕事だ。さらに、直すべきでないところが直されていないかを確認するのも僕の仕事だ。そして、「直すべきでないところが直されていないかを確認する」ということは、「全て確認する」と同じなのだ。

とここまで書いて、「直すべきでないところが直されていないかを確認する」ソフトはふつうにあるのだが、弊社はクソなのでそのソフトが導入されていないことを思い出し萎えてしまった。

はあ、クソ。

書く気力もなくなってしまったので今日はここまで。

ち~ん。


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