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わたしのからだはいとおしい

巨乳家系です。

……いきなりなんのはなしですかって感じですが、めぐみ家は女系を辿ると豊満なボディの女性がわんさか出てきます。

そんな中、わたしは思春期~20代半ばまではヒョロガリで、めぐみ家女系のなかでも異彩を放つ存在でした。
……今のことは聞いてくれるな。すべては不妊治療でホルモン剤をキメすぎたことによる弊害である。
豊満ボディの母親にも妹にも、「ティコにはブラジャーなんて要らないよ」「お姉ちゃんは絆創膏でもいいんじゃない?」と言われてきましたし、わたしも「そうか、ブラジャーはきょにゅうにのみ許される特別な装備なのか」と納得していました。
今思えばとんでもない毒親じゃねぇか。

そんなわたしに転機が訪れたのは、32歳の誕生日。
ふと、「誕生日だし、自分に良い下着でも買うか」と思い、仕事帰りに駅ビルの中に合ったワコールのお店へ行きました。
そのころのわたしは、採寸などしたこともないのに、自分のブラのサイズはC70だと思い込み、頑なにしま○らの下着か、ユニクロのブラトップを着用し続けていました。
初めてワイヤー入りブラを身につけたのは高校生の頃ですが、そのときに母親が買ってきたB65のブラが世界の基準だったのです。

アンダー65はきついから70くらいかな。
Bカップだと胸と胸の間が浮いてるからCくらいかな。
Cでも浮いてるけど、わたしはブラが要らない体型だって言われてたから、Cより大きいはずがない……
Cでもおこがましい気がするから、ブラトップも買っておくか。

そんな感じでわたしのブラはC70、もしくはブラトップと決まっていたのです。
世の中の男性諸君がどう感じているかはわかりませんが、Cからひとつあげると、Dカップです。
そこまで行くと巨乳の世界、だと、つい6年ほど前まで思っていました。
それくらい、わたしには下着の知識がなかった。

店員さんにフィッティングをしてみたい旨を申し出、まずは普段のサイズからつけてみることにしました。
その時わたしが「つけてみたい」と選んだのは、淡いピンク色でレースが付いている、4000円には届かないくらいの価格のもの。
普段のし◯むらからすると、倍のお値段です。
「できました」とカーテンの向こうにいるお姉さんに声をかけると、一目見て首を傾げ、「サイズお測りしてもよろしいですか?」と言うのです。

あぁ、なんということでしょう。
わたしがCカップなんて、見栄っ張りもいいところだったんだ。恥ずかしい、帰りたい……

採寸を終えたお姉さんがわたしに合ったサイズのものを選びに行っている間、そんなことをぐるぐると考えていました。
今ならまだ会計をしていないし、欲しい商品も選んでいないから、このまま服を着て「ごめんなさい、家族が危篤で」とか言いながら退出できないだろうか。
そうしたら金輪際、このお店はわたしには無縁だ。これまで通り、今度はB70のし◯むらを愛用していたら良いんだ……

「こちら、いかがですか?」

お姉さんが差し出してくれたのは、ヴィヴィッドなピンク色の華やかなデザイン。
普段見慣れているブラよりも随分大きく見えました。

「C70じゃ、全っ然、ないです」

お姉さんはわたしの目を見て、力強く、そう言いました。


そこからの幸福感は、とてもよく覚えています。
お姉さんが差し出してくれたブラは、わたしの体を心地よく包み、服を着た時のシルエットも綺麗で、見た目にも「痩せた?」と自分でもわかるほどの変化をもたらしてくれました。
人生で初めて、自分の体に合ったサイズの下着をつけたその日から、わたしの背筋はしゃんと伸び、自信をもって歩けるようになりました。
お値段も最初に試着したブラの2.5倍ほどしたけれど、「安いの3枚買って毎日そこそこ、よりは、サルート1着買って3日に1回すごく綺麗な方が心地よいですよ」と言われ、なるほどね、と納得。

それからわたしの下着は、サルートのみになりました。
絶対になくてはならない、わたしを陰から支えてくれる魔法です。

わたしの下着人生を変えてくれたあのブラは、脇のシルエットを整えるために高さを出すので、洋服はものすごく選ぶ。
それでもわたしは「小さく見せるブラ」よりも、わたしの体を心地よく包んでくれた、あのブラを選びたい。

わたしのからだはすてきだよ、そのままでいいんだよ、と言ってくれたあのブラに、救われたから。

参加しています。23日め。

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