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軽率にマリリン・モンローの真似なんてすべきじゃない

「ベッドでは何を身に付けていますか?」

そんな無粋で無礼で何を期待しているのか透けて見える質問に、

「CHANEL №5」

と答えたという逸話とともにその女優の存在を知ったのは、確かまだ10歳にならないころだった。
子ども心ながらに、かっこいいなぁ、素敵だなぁと憧れた。
当然ながら№5がどんな香りかなんて知らないけれど、きっと美しい人に相応しい香水なのだろうと想像して。
もちろん、そこに含まれる官能的な意味合いまではくみ取れず、パジャマに香水をふっているのだと思っていた。


あれから30年近く経つ。
あのときの憧れはその間ずっとわたしの中で熟成されながらも、実行に移す機会には恵まれなかった。
いや、機会はたくさんあった。
わたしがその憧れに相応しいベッドで・・・・・・・・独り寝をするというシチュエーションにこだわり続けたのだ。
機会のことだけを言うなら、我が家はとうに睡眠離婚をしているので、毎晩チャンスはあった。

先日、30年越しにその機会に恵まれた。
ずっと泊まってみたかったラグジュアリーなホテルに一泊してきたのだ。
チェックインしてひと息。

マリリン・モンローになるなら今日しかない。

独り寝には贅沢な、紺色のクッションとベッドライナーに真っ白なシーツがまぶしいキングサイズのベッドを見て、真っ先にそう思った。
高い天井からぶら下がるシャンデリアが、虹色の光の粒を放っているのもより相応しい・・・・と思った。

かくしてめぐみティコマリリン・モンロー化計画が始まった。
浴槽にぬるめの湯をはりつつ、シャワーを浴びる。
エアリズムのキャミソールが張り付くほど汗をかいていた身体に泡を滑らせてゆく。
慣れない暑さと湿度に、自分が思っている以上に体力を消耗していたのだろう。大理石の浴槽に体を沈めていると、そのまま寝落ちからの溺死エンドになりそうだったので、慌てて入浴を切り上げた。

べとべとの汗を脱ぎ、新しい皮膚に着替えた気分で、アトマイザーに詰め替えてきた愛用の香水をくるぶしにひとふき。
CHANELの№5、あの重厚な香りが似合うわたしになるには、もう少し時間がかかりそうだ。
今の自分に似合う香りを纏うことにこそ、意味がある。
そのままベッドへ直行し、シーツの海に体を滑り込ませると、マリリン・モンローを味わう間もなく寝入ってしまった。

みし、という物音未満の気配というか、とにかくそういう類のもので目を覚ました。
あぁ来るな、と思っているとカタカタという窓ガラスの振動する音とともに、揺れがやってきた。
かつて胆振東部地震で割と本格的に被災していたので、夜中の地震には敏感になっている。
枕元のスマホの時計を確認すると、2時前だった。
地震速報はまだ上がってきていない。
これから大きな揺れがやってこないとも限らない。そうなると、避難ということも有り得る。
と、ここまで思考を巡らせてはた、と気がついた。
自分がマリリン・モンローごっこをしている最中であるということに。
避難、できなくない?
もし死んだり自力で避難できない状況になったりしたら、一人で泊まってるのになぜか全裸の女って感じで発見されんの?
え、痴女じゃん?  今後の人生無理なんだけど?

こころなしか、ちょっとお腹も壊れている気がする。
寝入ってしまってから布団を蹴りとばすクセが、子どもの頃から抜けない。
夫に睡眠離婚を言い渡されたのもこれが原因だ。
寒すぎず暑すぎずという絶妙な具合のエアコンも、むき出しのお腹にはよろしくなかったみたい。

スーツケースから一応パジャマ代わりにと持ってきていたかつおのたたき柄のショートパンツと、ちいかわのうさぎ(推し)のTシャツを引っぱり出し、急いで身につけた。
そしてお腹が壊れているのは「こころなしか」ではなく、確定事項となったようだ。

つい数時間前、うっきうきで香水をふったくるぶしのあたりに溜まるかつおのたたき柄を見ながら、何やってるんだろうわたし、と冷静になったあとの恥ずかしさに襲われていた。
都会のど真ん中のホテルで、真夜中にトイレに座っているこの状況がとんでもなくみじめに思えて情けない。
虚しさと自分のばかばかしさに、泣くべきなのか笑うべきなのか。
よく分からない感情を抱えながら、相も変わらず足元のかつおのたたき柄を見つめている。

軽率にマリリン・モンローの真似をした結果がこれだ。
地震大国ニッポンではまず全裸で眠ってはいけないし、真夏のエアコンの元にお腹は完敗してしまう。
あれは地震が来なくて、エアコンも要らない土地だからこそ成立する、崇高な遊びなのだ。

もうマリリン・モンローごっこなんてしない。
30年間抱えて熟成し尽くされた憧れを、あの夜わたしはトイレに流した。


さて、冒頭の逸話には続きがある。
あの色っぽい回答について、彼女は後年「NUDEとは言いたくなかったのよ」と語っている。

自分がどう見られていて、何を期待されているかが正確に分かっている。
求められる回答を絶妙に指先でなぞりつつも、それ以上のアンサーを出してくるのだ。
セックスシンボルとして祭り上げられ、泣きたくなるような扱いを受けたこともあっただろう。
でも、噛み付くでもヘソを曲げるでもなく、相手の面目を保ちつつ、自らの尊厳もしっかりと守る。
とんでもなく聡明な女性である。
寝姿のコスプレは無理でも、せめてその機転は見習いたい。