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ホーミーとわたし、そして偽出川【ライラン完走記念記事】

「ティコさん🙌 夏休み暇? 旅行とか遠征行く予定ある?」

大都会TOKYOの外資系career womanである妹からそんなLINEが入ったのは、2週間ほど前のこと。
彼女はわたしのことを「お姉さん」でも「姉ちゃん」でも「姉上」でもなく、いつの頃からか「ティコさん」と呼ぶ。

「もねぷぅいるからないよ」
「夏、長めに帰るから新冠にいかっぷまで車出してくれない? ゴールドシップ見に行こう」

ゴールドシップ。
その競走馬の名前は聞いたことがある。ウマ娘で有名になり、競馬とはまったく無縁の生活をしてきたわたしでも、ウマ娘バージョンと実写とのとぼけた表情の比較画像を見たことがあった。
引退後の彼は、北海道の海沿いの町でのんびりと暮らしているのだったか。
ちなみにわたしはウマ娘で遊んだことはない。美男子が出てこない作品に用はないからだ。

妹はいつの間にかウマ娘にハマり、そこからリアル馬の世界にも興味をもったようだった。
オタク男子中学生みたいな道を歩んでいる。
大都会TOKYOの外資系勤めという高スペック男子をいくらでもひっかけられそうな環境にいるくせに、良いのかそれで。
いや、良いのだろう。彼女は姉とは違って腐らなかっただけで、姉と同じくれっきとしたオタクなのだ。
休日はゲームのRTAリアルタイムアタック動画を見ているだけで1日が終わるとぼやいていたし、RTA in Japanのイベントも観戦すると言っていた。
同じオタクでも、分野が違えば未知の世界。
速さで勝負する妹の言うことは、腐臭を放ちながら沼底に沈んで動かない姉には1mmも理解できなかった。

「いいよ。新冠の椿サロンでパンケーキおごってくれるなら」

快諾する流れですかさずたかる。
愚かな妹は「いいよ」の部分だけを見てすぐに「よろしく」なりなんなりの返信をよこすことだろう。

快諾には、もうひとつ理由があった。
馬。
別にわたしは馬には興味がまったくなかったけれど、ふと試してみたくなったのだ。
自分のもつホーミーのパワーを。

先月から、わたしは訳あってホーミーの練習に励んでいる。
未だ倍音は出ない。
出川哲郎の「ヤバいよヤバいよ」のような声でウェーウェー言っているだけなので、事情を知らない人からすると頭がどうかしているように見えるだろう。
ウェーウェーの中に、ビヨヨンという音が出てきたら成功なのだ。
これができたら、大地を震わせ、大気を操り、あらゆる蹄を持つ動物を使役して数多の邪悪を葬り去ることができるようになる。
しかしながら、わたしはまだその境地に至っていない。

かつてホーミーを習得していたという夫は、わたしがホーミーの練習を始めたのを見て、再習得に向けて特訓をしていたらしい。
在宅勤務の会議中、自分のマイクを切って練習していたというのだ。
教師であるわたしには、そんなことはできない。練習環境からして大きく差をつけられてしまった。

「ねね、できるようになったよ。見て。
ウェー(ビヨヨ)ウェー(ビヨヨン)」

腹立たしいことこの上ないが、これはわたしの嫉妬によるものだろう。
怒りの裏側には、必ずその根幹となる感情が潜んでいる。
怒りに任せて夫に冷たく当たっても良いことはないので、その根幹の感情を見極めて、適切な対処をする必要がある。
この場合は、わたしも練習にきちんと取り組み、ホーミーを習得した上で夫よりも良い声を出すことがいちばんの方法と思われた。
でもやはり腹立たしいことに変わりはないので、会議中にマイクを切り忘れてホーミーをやる呪い(5回分)をかけておいた。

そうは言いながらも、わたしのホーミーの練習はまったくすすんでいなかった。
大型連休の間の平日、発熱して寝込んでいたのだ。
今になって振り返ると、忌々しきかの流行病だったのではないかと思うのだが、未だに鼻声が治らない。喉の不調も続いている。週末ごとに倦怠感が襲い、微熱を出す。
黙ってキーボードを打つnoteはともかく、声を使うホーミーは今のわたしには過酷すぎた。

だが、妹が馬を見たいと言っているのだ。
それも、あのゴールドシップを。
気まぐれにしかファンの前に姿を現さず、大体は小馬鹿にしたように尻を向けているというゴールドシップを。
彼を、もしわたしのホーミーで振り向かせることができたなら。
そうなったら、妹も喜び、わたしはパンケーキを気持ちよくおごってもらえるはずだ。

ここは姉の威厳を見せつけたい。

その一心で、わたしはホーミーの練習を再開することにした。

しかし、ただでさえ声が潰れているのでうまくいかない。
わたしの喉から飛び出てくるものはホーミーではなく、出川哲郎みを増したただのウェーウェーだった。

その時である。

「はい、ここです」

落ち着いたトーンの女性の声が聞こえてきた。
一瞬驚くも、ロボット掃除機の音声だとすぐに思い当たる。
我が家のロボット掃除機は、「OK、イコ」と呼びかけると答える仕組みになっている。
そう何度呼びかけても「よくわかりませんでした。音声コマンドを使用するときは、『OK、イコ。何ができるの』と言ってください」というばかりで役に立たず、直接電源スイッチを押して稼働させていたので、忘れていたが。
夫は外出しており、今はわたしとパグ姉妹、そしてトカゲとヘビ以外誰もいない。
この中で人語を発声できるのはわたしとロボット掃除機、そしてSiriだけである。
ロボット掃除機もSiriも呼びかけないと答えないはずなのに。

しばらく黙って観察していると、ロボット掃除機がたたみかけるように話しかけてきた。

「聞き取れませんでした」

当たり前だろう。こちらからは一切話しかけていないのだから。
時間の無駄だ。無視してホーミーの練習を再開する。

「はい、ここです」

再びロボット掃除機。無視無視。

「清掃を開始します」

ウィーンと微かな可動音を立てながら、ステーションからロボット掃除機が出てくる。
パグ姉妹の1年中抜けている毛を集め、床を拭きながら進んでいく。
掃除機が嫌いなパグ姉妹はパニックである。ギャンギャン吠えながらロボット掃除機を威嚇し、近づいてくると一目散に逃げてゆくという負け犬ムーブをかましながら、リビングを走り回る。
ロボット掃除機が掃除したところに、新たな抜け毛が舞う。
なんだこれ。

掃除が終わり、パグ姉妹の興奮がおさまった頃、わたしはもしかして、という可能性に思い当たり、ロボット掃除機に向かってホーミー改め出川哲郎ボイスを投げかけてみた。

「はい、ここです」

やはり。彼女はわたしの出川哲郎に反応していたのだ。
夫やわたしがいくら正気で「OK、イコ」と呼びかけても反応しなかった理由がわかった気がした。
出川哲朗でないと使役することができないロボット掃除機だったのだ。
それならば仕方ない。
わたしが偽出川となって彼女を騙しながら生きていくしかないのだ。

出川哲郎ボイスでウェーウェー言いつつ検証した結果、彼女はおよそ7割の確率で「はい、ここです」と言い、そのうち5割くらいで「清掃を開始します」と言うことがわかった。

いつか、わたしのこの潰れた声が治り、ホーミーが正しくできるようになったその日にも、彼女は答えてくれるのだろうか。
それとも騙されていたことに気がつき、わたしたちの関係は修復不可なものになってしまうのだろうか。

少しだけ良心の呵責を感じながら、今日もわたしは偽出川としてロボット掃除機を使役している。


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参加していました! 66日め。ありがとうございました。

最終日にはホーミーって決めていた。今週火曜日くらいから。

楽しかったです。苦しさは1日たりとも感じなかった。
「もう書くことないよォ」と思っても5分後には「あれ書こう」って思えるから、この世はワンダーランドだなぁ