何の懸念もなくうどんが好きと言いたい

思い返せば、両親の夫婦仲はずっと冷え切っていました。
アルコールの力で豹変した父が、母を殴ったりなじったりする姿を目撃したことも、1度や2度ではありません。
わたしたちきょうだいも、時に標的となりましたし、長女のわたしが心理面でも肉体面でも、母のストレス発散のサンドバッグにされるのは日常でした。

えっ! わたしの家庭環境悪すぎ……?!

なんでそんな話になったのかは全く思い出せませんが、成人したかしてないか、とにかくわたしがまだうら若き乙女だったころ、妹と弟と「うどんと蕎麦とどっち好き?」みたいな話になりました。

わたしはうどん派。
30過ぎるまでお蕎麦の良さがわかりませんでした。今は両方好きだよ!

当然、うら若きわたしは「うどんの方が好き!」って言うじゃないですか。

「クソ親父と同じだな」

特に何かの感情がこもっていたわけではないと思うのですが、ずっしりと重いその言葉は、母から発せられたものでした。
この時が特別、という訳ではなく、そんなことは子供の頃からよくありました。
「こげめがつくくらいカリカリに焼いたトーストが好き」なのも、「じゃがいもとわかめのお味噌汁が好き」なのも、「クソ親父と一緒だな」「クソ親父の婆さんと同じだな」と吐き捨てられてきました。

こんな経験をしてきたからか、わたしには、
「わたしが好きなものを好きだと言うと、不快に思う人がいる」
という思考が垢のようにこびりついています。
だから今も、同僚や友人との雑談で「休みの日何してんの?」とか趣味の話題が出ると、身構えてしまう。
noteやTwitter(時代の波についていけていない)では、結構自由に好きなものをさらけ出しているのですが、実際に顔を合わせて日々時間を共有する人となると、とてもハードルが高く感じます。

休みの日には編み物をしているよ、と言うのも、ノートを書いて自分と対話してるよ、と言うのも、ゲームをしているよ、と言うのも、暗いと思われるんじゃないかとか、友達いないと思われるんじゃないかとか、そんな思考がついかすめるのです。

でも、わたしも好きなものを好きと言えるようになりたい。
うどんが好き、と言うたびに母のあの声を思い出さないようになりたい。


ま、実際のところ、「休みの日は何してんの?」と聞かれて正直に白状するとしたら、

「寝落ちするまでコミックシーモアのアプリで商業BL読んでる」

んですけどね。
あ、でもなんの懸念もなくBLが好きって言える世界線はすごく興味がある。

「BL」という本棚を作っていますが、BLしか購入してないから全く意味のないラベリングだった。
月末から来月初旬にかけて好きな作家さんの新刊が出るので楽しみ。
著作権的なアレで本棚のスクショにぼかしを入れてみたら、
特にアレじゃない表紙でも卑猥に見えるのはなんでなの?

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

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