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不妊治療中の「おめでとう」問題

わたしの不妊治療期間は、職場の妊娠ラッシュ期間とほぼかぶっていました。
最初のうちこそ、「次はわたしが報告する番!」と希望に燃えてはみるものの、治療がステップアップしていくにつれ、「わたしの番は永遠に来ない……」と悲観的にもなりますし、ここには到底書けないような感情が湧き出てもきます。

当時の勤務校には女性の会というものがあって、職場全体のものとは別に、女性職員だけで集まって忘年会や送別会をしていました。
産休に入る同僚には、配達してくれるケーキ屋さんにケーキを注文して、休憩時間や勤務時間終了後に頑張ってね会をしていました。

ですが、わたくし……
正直に白状しますと、4回ほどあったその頑張ってね会に一度も出席したことがありません。
その日に敢えてクリニックの予定を入れたり、クリニックの予定と重ならなそうな日は何もなくても放課後にお休みをいただいたりしていました。

ホルモン剤をガンガン打って誘発をかけ、腫れた卵巣と下腹部の鈍痛を隠し持ったわたしには、お腹の大きな同僚に「おめでとう、頑張ってね」なんて声をかける余裕も気力もありませんでした。

「なんでわたしじゃないの? あの人はあんなに幸せそうに笑っているのに、わたしはそこに行けない」
「なんでみんな結婚してすぐ妊娠できるんだろう、わたしの方が若いのに」
「わたしは1人もいないのにあの人は3人目」
「わたしはこんなに辛いのに、ヘラヘラしないでよ」

当時のわたしの思考は大体こんな感じ。
見事に「わたしは」「わたしは」「わたしは」って卑屈の塊かよー、と今ならツッコミのひとつも入れられるのですが、その時はメタ認知が死んでいました。

頑張ってね会に出席しなかった時は、夫とケーキを食べたり、ちょっと高級な晩ごはんを食べたりしてました。
わたしが「ケーキ食いっぱぐれたからケーキ食べたい」と言わなくても、「今日ケーキ食べられなかったんでしょ? 好きなの買いな」と言ってくれる夫に、何度救われたかわかりません。
本当、わたしはパートナーに恵まれてます。惚気話ならいくらでも書ける。



あの時にあの会に参加しなかったことを、正直後悔はしていません。
卑屈MAXな自分を全く出さずにいられるほど大人にはなれなかったですし、わたしが空気を悪くしてしまうだろうことは、簡単に予想できますし。

というかね、ぶっちゃけ、不妊がらみで気持ちに余裕がないわ、という人は

妊娠した人に無理してまで「おめでとう」なんて言わなくていいよ。

自分が言わなくても、他の人にたくさん言われてるんだから!
幸せでいっぱいの人は、「何もアクションしない」というアクションをされたことなんて覚えてないよ。というか、眼中にも無いんじゃないかなぁ……。
きっと、わたしが結婚した時も「おめでとう」って言えない人はいたと思うのですが、そんなこといちいち覚えていないですしね。
自分の感情を殺して、無理に喜ぶなんてしなくていいです。
そんなのはとりあえず周りの人に放り投げておきましょー。

人の妊娠喜べないと自分の番が来ない気がする、と思ってしまう気持ちも分かります!
わたしも「こんなデスノート書いている自分はダメなんだ……だから赤ちゃんも来てくれないんだ……」と自分責めしていた時期もありました。
でも冷静に考えてみてください。単なる細胞の融合と分裂です。その辺の昆虫や植物でも起きているメカニズムです。
その辺の昆虫が「隣の奥さんおめでたですって! 卵200個産んだらしいわよぉ、楽しみねぇ」なんて言っているわけもなく……

攻撃したり八つ当たりしたりしない限り、心の中は自由です。
不妊治療中はとにかく心も体もすり減っているどころか、おろし金ですりおろされているようなもの。自分を労ってあげられるのは、自分とパートナーしかいませんからね。
自分が穏やかに健やかに過ごせる方法を選べたら、それが正解じゃないかなぁ。

最後までお読みくださりありがとうございます。


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