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対蟲用兵器女神ティコ

こんばんは。
我が腹心の友・もこぺんゆらゆらミルコ両氏がコニシ木の子課長から「蟲の記事を書け」と命令されているのを見て、嫉妬に狂いそうなめぐみティコです。
なぜ、わたしには命じて下さらないのですか。
わたしだって、路地裏に生えてきた木の子の眷属のはず。なんならちょっと前まできのこの山総大将だったはず。
ここはひとつ事実をねじ曲げ、わたしも「書け」と命じられたということにして蟲の話をしたいと思います。
なんのはなしかは明確な記事になりますので、なんのはなしですかのタグはつけません。
なんのはなしですか。むしのはなしです。
(挨拶文が徐々に長くなっていくのはなぜなのか)

田舎育ちの恩恵か厄難か、わたしは素手で蟲をつかむことができる側の人間です。
北海道生まれど田舎育ち刺すやつと噛むやつ以外大体友達。

餌蟲が嫌で爬虫類を飼いたくても飼えない人間を多数見てきましたが、わたしにとってはその辺りはなんの問題にもなりません。
トカゲ、ヤモリを養うために、めぐみ家では365日24時間体制で汚い声のコオロギが鳴き、ヘビに元気に育ってもらうために冷凍庫にはネズミの赤子が凍っています。
いっときはアルゼンチンモリゴキブリを衣装ケースの中で500匹ほど増やしておりました。
誰も食べないんでやめましたけど。ゴキブリは爬虫類目線でも不快らしい。
ゴキブリのやめ方ですか? 本当に聞きたいですか?

そんな背景を背負っているがゆえ、わたしは職場では完全に対蟲用兵器として扱われています。
教室に蟲が出たとなれば、呼ばれて退治するのがわたしの仕事。

「せんせぇ〜、アリがいるぅぅぅ」
「アリぐらいどこにでもいます。放っておきなさい」
「アリ怖いぃぃぃ」
「自分より何万倍も大きな体の人間に大きな声を出されているアリの方がずっと怖いに決まっています」

とは言いつつも、指先でそっとアリをつまみ、窓の外にポイ捨てしてあげる心優しきわたしは、子どもたちにとってはさしずめ女神といったところでしょう。

だけどね。

「うわっ、ワラジ! めぐみ先生呼んできて!」

同僚の男(35)、テメーはダメだ。
何がめぐみ先生呼んできて、だ。ふざけるな。自分の教室に出た蟲くらい自分でどうにかしろ。

「めぐみ先生、I先生がワラジとってほしいって言ってます」
「はい、今行きます」

向かいの教室から聞こえてきた「めぐみを呼んでおけばとりあえず平穏と均衡は保たれる」とでも言いたげなセリフに心の中で悪態をつきながらも、子どもにはいい顔しいの女神ティコ、慈愛の微笑みをたたえて出動します。
ワラジムシもわたしの指先によりつまみ上げられ、無事に外界への帰還を果たしたのでした。

思えば、わたしの対蟲用兵器としての運用は、今を遡ること30年前、小学校低学年のころより開始されておりました。
始まりは1匹のカメムシでした。カメムシは漢字で椿象と書くそうですが、今はそんなことはどうでもいい話ですね。
そう、1匹のカメムシからわたしの対蟲用兵器としての物語は始まるのです。

当時通っていたピアノ教室のグランドピアノの上に、1匹のつややかな光沢を放つ暗い緑色の蟲がおりました。
ゆるやかな曲線を描く黒い蓋と、一点の緑青。
鮮やかな対比が今も目に焼き付いています。
最初に気づいたのはわたしでした。
じいっと一点に視線を送るわたしのおかしな様子に気づいた先生は、「どうしたn⋯⋯ギャ゛ッ゛!」というおよそピンクハウスのお洋服に身を包む姿からは想像もつかない濁点まみれの声をあげました。

「やだやだやだ、なにあれ!」
「カメムシですぅ」
「やだ、どうにかしてよ!  やだやだやだ!!」

いつも琺瑯のボウルの内側をそっとなでた時のような声で話す先生でしたが、その声は作っているものだということが、無惨にも露呈してしまった瞬間でした。
キレたマツコ・デラックスのような野太い声で、いたいけな少女であるわたしにカメムシをどうにかせよと命じてくるのです。いい大人が。
親指の爪程度の大きさの生命体におののき、濁った声で幼児のように「やだやだ」と繰り返すピンクハウスは、一種の怪異ですらあります。
今なら自分の教室に出た蟲くらい自分でどうにかしろ、と言えるのですが、当時は無力な小学生。
わたしはカメムシよりもピンクハウス怪異の方が恐ろしかったので、半ばパニック状態でそのカメムシを素手でつかみ、外のプランターの上にそっと置いてあげたのでした。
わたしの指先に残り香だけをひっかけ、カメムシは終わりかけのマリーゴールドの茂みの中に消えていきました。

その後のことはよく覚えていません。
どうにかしろと言われたからどうにかしたのに、「よく触れるね」「その手でピアノ弾くの?」という怪異の蔑んだような視線を感じながら、その日のレッスンを受けた気がします。
それがきっかけかはわかりませんが、わたしたちの間にはやがて音楽を嗜む身としてはありえない不協和音が響くようになり、ほどなくしてわたしは教室を変えました。
しかし、このときからわたしの中に自分は対蟲用兵器であるという自覚が確かに芽生えたのです。

これでわたしの対蟲用兵器としてのはじまりの物語は終わりです。
対蟲用兵器としては蟲と相対するときに最強クラスのメンタルと平常心を誇ると自負するわたしですが、蚊に刺されると発熱、リンパ節の腫れなどのアレルギー症状が出るという致命的な弱点を抱えています。


なんのはなしです蚊


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