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フミヱさん

国民学校に上がったばかりの頃に、樺太から着のみ着のまま引き揚げてきたフミヱさんは、あまり漢字が書けなかった。
だからか、折々に届く贈り物の添え状の署名は、いつも「フミヱ」だった。本当は、文江という名前なのだけど。
たまに漢字で署名をしてあるかと思えば、「江」が「ヱ」になっていたり、さんずい付きの「ヱ」になっていたりした。


フミヱさんはわたしのまちから峠を越え、車で3時間半ほど走ったところにある平野部のまちに、旦那さんと娘さんと3人で暮らしていた。
フミヱさんには娘さんが2人いて、そのうちの1人はわたしの母親。
一緒に住んでいる娘さんは姉の方で、わたしにとっては伯母だった。
子どもの頃は毎年8月にフミヱさんのところに泊まりに行っていた。
両親と妹弟と一緒に、車で。あるいは、幼いわたしがもっと幼い妹弟を引き連れて、特急おおぞらに乗って。
だからフミヱさんとの思い出も、必然的に夏のものばかりとなっている。

フミヱさんは、「戦前の女性」という言葉から連想される淑やかさや慎み、そんなものにはあまり縁のない人だったように思う。
日曜日の夕方になると、笑点を欠かさず見ていた。
見ながら「この紫の人好きじゃないわ。年寄りいじめて」と文句を言い、緑の着物の人が喋ると「イーッヒッヒッヒッヒ」とねるねるねるねのCMの魔女みたいに笑っていた。
緑推しだったのだと思う。だから紫が緑をいじめていると本気で思っていたのだろう。
たまに過激派のオタクで推しのモンスターペアレントと化す人がいるけれど、あれのはしりだったのかもしれない。
そう考えると、唐突に愛が溢れて推しを語りまくる記事を書いてしまう、そしてその奇行を何度も繰り返してしまうわたしは、確実にフミヱさんの血を受け継いでいる。

一軒家に住む北海道民には、夏になると庭先で炭火を起こし、肉を焼くという習性がある。
道外の友人にこの話をすると「迷惑じゃん」と言われる。
でも、どの家にもバーベキューコンロがあり、大抵の道民は火起こしができる。
隣家が肉を焼こうが、大して気にしない。自分もやっているから。
フミヱさんの家も例外ではなく、遊びに行くと雨に降られない限り夕食は庭で摂っていた。
わたしは子どものくせにホルモンの炭火焼きが好きな、将来は飲兵衛になることが確約されているような小学生だった。
特に、北海道のスーパーで必ずと言って良いほど売られている「炭や 塩ホルモン」がお気に入り。妹や弟にも布教し、支持を集めることにも成功していた。
ある日、いつものように屋外でホルモンを焼いていると、フミヱさんは唐突に

「ホルモンってなんか、あれみたいだわ。ヒヒッ。うんち臭いよね。イーッヒッヒッヒッヒ」

と言って笑った。
もちろん、その場にいた全員の不興を買っていたことは言うまでもない。
みんな思っていても言わないでいたことなのに。
「食事中でしょ、やめてよ」と娘たちに文句を言われながも、自分の発言が笑いのツボにクリーンヒットしたフミヱさん。
わたしから見ると煙の向こう側にいるという状況も相まって、本当に怪しい薬を作っている悪い魔女みたいだった。
わたしは魔女の呪いによって、「もう食べられない」とその後長いことホルモンの炭火焼きを受け付けない体になってしまった。


ホルモン事件から十数年が経ち、わたしは新卒教員として4年生を担任していた。
フミヱさんの家に泊まりに行くことはもうない。
フミヱさんは幾度めかの入院生活を送っていた。乳がんの肺への転移だった。

夏休みが明けて一週間もしない、8月も終わりに近づいた土曜日のこと。
姉妹で交代で入院に付き添っていた母から、

「今からJR取ってこっちまで来られる? あと、本当はまだこんなこと言いたくないけど、喪服、着物箪笥の中から出して持ってきて」

と震えた声で電話がかかってきた。
その意味するところは聞かずとも分かる。

わたしたち孫がそろって病室に駆けつけたとき、フミヱさんはそれまで頑なに閉じていた目を薄く開いた。
「来たよ、分かる?」と順番に声をかけると、顔を見てしっかりと目を合わせてくれた。
きっと、通じていたと思う。

日付が変わり、フミヱさんはその生涯を終えた。
夫と娘たち、孫、甥や姪、義妹やその家族など病室に入り切らないくらいの人々に見守られながら。
「釈尼文恵ぶんけい」という生前のそれとも重なる素敵な名前をもらい、薄緑のレース地のカットソーを着て旅立っていった。
白い装束なんて嫌がるよね、と言いながら直系の女たちで身支度を整えたことを覚えている。


今夏、久しぶりにフミヱさんの家へ行く。
十三回忌の法要以来のことだ。
子どもの頃とは違って高速道路が開通し、2時間ほどで行けるようになった。
峠も越えなくていい。
あの家には、フミヱさんの旦那さんと娘さんが今も住んでいる。
仏壇の横で明るく微笑む遺影を見ても、もう悲しみは感じない。
わたしの胸により強く刻まれているのは、管に繋がれ目を閉じて横たわるフミヱさんではなく、緑過激派のフミヱさんであり、ホルモン事件を引き起こしたフミヱさん。
緩やかに呼吸が止まっていくフミヱさんではなく、魔女のように笑うフミヱさん。
位牌の「釈尼文恵」という名前も良いけれど、やっぱりあの手書きの「フミヱ」が懐かしい。



☀️この記事はクロサキナオさんの企画参加記事です☀️

#クロサキナオの2024AugustApex

https://note.com/kurosakina0/n/nbe3250227e3e


わたしのくだらない話の後に紹介するのはとても気が引けるんだけど……
でも、どうしても読まれるべき作品だと思いました。

むくみさんのおばあちゃんの思い出。
あの年、むくみさんが誰にも伝えられなかった、伝える機会をもてなかった、おばあちゃんから聞きとった想い。
ここで昇華されたのかなって思う。わたしには届いた。伝わった。
本当に、たくさんの人に読まれてほしいです。