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モヤモヤの供養

画像は『シン・ゴジラ』より、牧教授が遺したSNSの極意(違う)

こういうご時世にあって、どんなことを言うのも、言わないのも自由だし、どっちにしても他人から「ちゃんと考えてるかどうか」をジャッジされるようなことじゃない!

と思っていたのに、先日、そのことでグルグル考え疲れてしまった結果、自分自身がジャッジする側に見えるようなことをSNSで言ってしまった気がしていて、その後ずっと心に小さな引っ掛かりが残っている。

とはいえ、言いっぱなしのSNSでわざわざ蒸し返すほど補足・訂正したいことを言ったわけではないし(今見るとちょっときついなと思う表現や、発言する中で変わっていった考えもあったけど、全部自分なりにその時々考えて言ったことでもあるし)、もし嫌な気分になった人がいたなら直接謝りたい気持ちだけど、そんな人がいると考えることも自意識過剰だしで、どうにも気持ちのやり場がなかった。
なので、この場がふさわしいかはわからないけど、ちょっと改めて、140字の連続では消化しきれなかったモヤモヤを供養させてほしい。

したい話をしたい時にすればいいと思う。
そして別にしなくてもいいし、発言の慎重さは人それぞれだから、何も言わない人も、何も考えてないわけじゃない。
(「何も言わないのは社会に対して何もしていないのと同じだ」と言われたら、それは受け止める)

僕も他の皆と同じように、色んな人の言う事に賛同したり、首を傾げたりするけど、そこから、直接の発言者としてではなくても、表現者の一人として蓄積できる思考を得られることはたくさんあるし、それを自分なりの方法でアウトプットできることも今後あるかも知れない。

誰かが何かを考えて発言・行動すること自体を抑圧したいなんていう気持ちは、全然ない。あるわけない。
(言うこと、言わないことの影響の大きさが知名度に比例するというのはあると思うから、ちゃんとその自覚があればいいと思う)

僕はちょっとした業務連絡メールの下書きを3時間推敲してしまうような性格の人間だから、真剣になるほど一言一言を検証しすぎて、何も言えなくなってしまうことが多い(そうして下書きの墓場に消えていった発言は数知れない)。言っておけばよかったと思うこともあれば、言わなくて正解だったと思うこともある。軽率に発言することも、熟考して発言することもある。何か言うたびに間違えるし後悔するし、その繰り返しの中で、立ち止まって自分の視野や思考を疑うこと、自分と違う視点を想像することを意識するよう努めてきたことで(良くも悪くも)今の自分があると思っているけど、それは僕の話。そんな面倒な性格が必ずしも良いことだとも思ってない。ましてや人に強要するようなスタンスでは全くない。
黙ってるなんてずるいのかもしれんし、こんなとこで意味のないことをグダグダ言ってるだけで誰よりも思考停止してるのかもしれんし、僕はまだ「コップがあふれていない」だけで、明日にはものすごい饒舌になってるかもしれんけど、そんなのわからん。飲み屋でグダグダ話したいことならたくさんあるし。

「空気」みたいなものを勝手に感じて一人でモヤモヤしてたのは、愚かなことだったかなとは思う。そんなものは、仮に感じたとしても気にしなけりゃいいんだろうなと。ちょっと違和感を感じたのは事実だけど、当時も書いたようにそのおかげで知れたこともあるし、誰かの考え方や、その深度を勝手にジャッジしているように見える書き方をすべきではなかったと思う。

うーん。結局、何かを言う時に、ニュアンス漏れのないように…としすぎていくと、クリアになるどころか結局どんどんぼんやりとしていく感覚がある。そういう性格なんだろうな。だから答えの出ないお話を書くのが好きだし、文章で主張するより、色んな立場の人を出せる物語を作ることが性に合ってるんだろう。
(もちろん全てがグラデーションなわけじゃなくて、白黒はっきりしていることも世の中にはあると思う。結局その判断基準は人それぞれが持つしかないけど…ってまたなんでこんな当たり前のことを書かなきゃいけないのか)

多くの発信者の人たちと違って、そんなに多くのことを同時に考えられる脳みそも持ち合わせていないし、僕の場合は、同じ量の時間と思考を、SNS上の1アカウントとしてのあり方に気を遣うよりも、いち作り手として作品に向けた方が、結果として世の中に意味をなせる総量は大きくなる(程度には表現者である)とも信じたいので、このことで悩むのは一旦これで区切りたい。

いろんな視点があって答えは簡単には出ないし、永遠に補足をし続けてしまいそうだから、とりあえず、ここまでにしとく。

僕の言うことなんか誰も気にしてないのはわかってる(それなのにめちゃめちゃ自分の見え方を気にしてしまう)から、誰に向けてというのじゃなく、ただ自分自身の思考を形にしておきたかった。

このノートも何度も下書きの海に消えかけたけど、公開することでしかこの思考のループを打ち止めにできないと思うので公開する。
(それでも公開ボタンを押した瞬間に、「ああ、こういう視点を踏まえて書けてなかった…」とか後悔するんだと思う)

結局、タイトル画像以上のことを何も言えていないけど!

まあみんな好きにしてくれ。僕もそうするから。

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