思考する停滞

気づけば『パラレルワールド・シアター』の上映も落ち着いて久しく、完成から考えるともう1年以上経っていて、あっという間に「映画を作っていない自分」に戻ってしまった。

ちょっとした空き時間や仕事の休日、ダラダラ過ごしている時間にも頭の片隅に「何か作らないと…」という焦燥感が消えない。
そんな感覚との再会が、少し懐かしい。

作りたい気持ちもあるし、作りたいものも一応、ある。いくつかある。

ただ、どれほど大変かわからずに飛び込んでいったパラ劇の時とは違って、今はまともに映画を作ろうとしたらどれだけ大変かということが身にしみている。
さらに言うならその「まとも」のハードルも、一本作ってそれが世の中に置かれるのを見て、より周囲が見えてきたこともあって、以前より高くなっている。

もっときちんとしたものを。
今、自分にできることの中で、一番社会と時代にフィットするものを。
そんなことをぐるぐる考えて、ネタAとBとCを行ったり来たり。

自分の腰が重くなっていることを感じる。
まだ焦るほどのブランクではないと思うけど。

今年に入ってからずっと仕事モードだったのが今週少し落ち着いて、これからもしばらく落ち着きそうなので、少しずつ頭と気持ちを「Tick Tack Movie」モードに戻していって、春のうちくらいまでには、新しい脚本を書きたい。

そんなわけで「よし、手始めに部屋の掃除から!」という典型的なやつではないけれど、このタイミングで、Tick Tack Movieのサイトをリニューアルした。
http://ticktackmovie.net/

自分で更新や管理がしやすいように、一夜漬けでWordPressを覚えて作った。
作品リストに『パラレルワールド・シアター』を追加して、自分の過去作の一つとしてあの作品を見つめるのが、少し不思議な気分だった。

そして、学生時代(というか中学生時代!)からの作品ページを整理して、ちょっと加筆修正したりしているうちに懐かしくなって。「あー、この過去作、今リメイクしたら面白いかもな…」とか考え始めたり。
他の誰にとっても価値がないものでも、自分にとっては価値のある作品群。
自分の人生の記録として、このフィルモグラフィを死ぬまで増やし続けたいなと思う。
外の世界と比べて一喜一憂するよりも、思い切り内の世界に浸って、そこから見えてくる「次に作りたいもの」を信じる方が、自分には向いているのかも。

でもやっぱり、あれやこれを作っていた学生時代や20代の頃ほど、切実に語りたいもの、今の自分にはないかもしれない。完全に自由な代わりに、自家発電し続けないと作り続けられない、それが自主制作だ。いっそ誰かにお題出してもらえたら楽かもな、とかも考えたりする。

まあ、パラ劇だってネタとしてはずっとあったけど、ある時ふいに自分にとってとても切実な感情と結びついたことで、作る決心がついた。同じように、今持て余しているいくつかのアイデアも、自分の人生のフェーズが変わったり、より思考していく中でより切実な創作意欲を掻き立ててくれるかもしれない。きっとそうだろう。

そうならなきゃ、別に作らなくたっていいんだし。

ここ最近の仕事は楽しかったし、今もとある知人の監督さんの自主制作に関わっていて、自分発信じゃなくても、創作欲求を満たせる場があるのはありがたいことだ。でも、こうして人は自家発電しなくなっていくのかもしれない。

そして今、世界で多くの人たちが、半ば強制的に、歩みを止めざるを得なくなっているような状況があって、僕自身にもいつ、その影響が何らかの形でやってくるかわからない。歩くか止まるかを自分で決められること自体が贅沢なことなのかもしれない。
いずれにしても、そんな止まっている時間、歩みの遅くなる時間も、長い目で見れば、また何事もなく歩き出すための必要悪なのだと信じたい。


今回もとりとめのない文章を書いたけど、なんとなく、頭の中の「部屋の掃除」も少しずつ進んできてる気がする。

さあ、脚本書くぞ。
おっともうこんな時間か。お腹すいたな。ご飯食べながら映画でも観るか…zzz

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