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特に何でもない日記

 よく、優しいだとか、良いやつだとか言われます。自慢です。言われたらとても嬉しいし、そう言ってもらえるために、身近にいる人へはある程度真面目に向き合っているつもりです。実際、そんなふうな人付き合いをしていったことで、確固たる自分の道を歩み始めたり、その足掛かりをつかんでいった友達がいます。ですが、よくよく考えてみなくとも、私はいつも彼らの話を聞いているだけで、特段良いことを言ったりしているわけでも何でもなく、ただ彼らが話してくれるうちに自分の考えをうまくまとめられただけなのです。その手伝いを少ししたにすぎず、結局それは、私でなくても、例えば同じくらい話を聞いてくれるだれかが居れば済む話ですし、実際私以外にそういう人は万どころか億で居ることでしょう。私は本来居ても居なくてもよかったのです。と、そんなことを言っていると「そんなことない」待ちか?等と思われてしまうでしょうが、そうです。こればっかりは明らかにそうです。もう僕は、僕以外の誰かからの肯定が無ければ生きていけません。これは独りで居続けた人間の末路です。

 いろんなところで聞き飽きられるほどに語りつくし、記しつくした私の自己嫌悪や自罰的な思考が、今はもう、その憎悪だけが影のようにまとわりついて、具体に欠きながらも私を蝕んでいます。何に頭の中を侵されているのか、たまにわからなくなります。すでに私は、私を認められない状態にあると、多分言っていいでしょう。するともう、誰か、私以外の人間にその役割を代わってもらうしかないのです。しかし、そう都合よく私を認めてくれる人間などおりません。当たり前の話ですが、無条件の肯定なんてもんは、大抵詐欺です。なので、認められるだけの何かを持つ必要がありました。そこで私は、向き合い方を改めることにしました。カスです。

 しかし、そうして得たものは、私の中に渦巻くなにかを掃うことも叶わず、かえって苦しむこととなりました。こんなことしてても、結局それなりの信用以上のものは手にできません。友人からの信頼だけではダメだったのです。まったく贅沢なやつです。が、仕方が無いです。いつのまにこうなってしまったのか考えたくもありませんが、多分どうにもできないところなので放っておきます。人間ぶっ殺しゾーンです。

 結局私は、愛されたかったのです。でも、私が求める愛のかたちは未だ定かではなく、そこにあるようでないかもしれない愛と呼ばれたりするなにかに向けて暖簾に腕押しな状態になってしまったのです。多分愛されています。この前、さすがに病院行けと言われたことをきっかけに、お友達に一緒に心療内科を調べてもらったりしました。そこまで親身になってくれる人が居るにもかかわらず…誰も応じられない時間に、どうしようもなく憂鬱が湧きたってしまったりして、誰にも頼れなかったりすると(非常識だし、我が儘だし、若干意味不明ですが、そんな前置きもしたくなるくらい嫌な考えなのですが)やっぱり私はあまり愛されていないのだろうなとか、考えてしまうのです。私が私を大切に思えていないことによって、他の人もそうなのだと勝手に思ってしまう、そんな状態です。終わってます。

 そんなこんなでもう多分限界が近いので、学校とか課題とかと相談しながら、そろそろ医療に頼ろうと思います。こんなクソカス人間どうなったって別にいいだろの精神で動き出せずにいましたが、そのお前がクソカス人間と言っている人物は紛れもなくお前自身なので、はやく病院行けと、私が悲鳴を上げている状態です。私は心療内科に電話することができるのでしょうか。こんなこと書いてるうちはしないでしょうね。マジで終わってる。

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