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K君のこと

K君はギャンブル依存症だった。10年近く前、あるプロジェクトに参加していて、そこでK君と出会った。K君はおとなしい性格で、本が好きだった。

ギャンブル依存症だとわかったのは、知り合って半年以上たってからだ。1年近く経っていたかもしれない。

手をつけてはいけないお金に手をつけたのだ。そのことに最初に気がづいたのは私だった。

ここまでは、残念ではあるけれど、私がくよくよするようなことではない。そもそも、ギャンブル依存のことは知らなかったのだ。

それは、あの震災後の復興プロジェクトで、津波に流されずに残った小高い丘の上にある作業場に間借りし、机とPC、プリンタを並べただけの事務所で起きた。鍵のかかるロッカー、ちゃちい金庫。その気になれば、簡単に破れるセキュリティだった。「仕方がなかった」は単なる言い訳だ。私は、いや、都会から支援に入った我々は、自分たちが復興に向けて一丸となっていると思い込んでいて、使い込みが起きることを想定していなかった。今考えると、自分が甘かったと言わざるを得ない。

しかし、悔やんでいるのは、その使い込みの返済のために、ある人から借金をしたK君が、その人物との関係に悩んでいると言った時のことだ。K君は、その人物の支配(ある種のいじめ)から自由になるために、その人物に借金を返済するお金を貸してほしいと言った。

結果、私が貸したお金はすべて、完全にすべてギャンブルに消え、以前より大きな借金だけが、彼のもとに残った。この時も、私はそこまで重篤な状況を想定していなかった。まったく甘かった。

彼にお金を渡さない方法はあったと思う。今の自分なら、あの状況で、絶対に彼にお金を渡さないだろう。あの頃、何かわかっているつもりで、何もわかっていなかった。

K君のことは、何度も何度も思いだす。彼は、震災のずっと前から、ギャンブル依存症だったのだ。あの震災からの復興をめぐる雇用の補助金は、せっぱつまった都会での暮らしにピリオドを打ち、故郷に戻ってやり直す口実として、彼の前に突如出現したのだった。

あのプロジェクトは、彼が本当にやり直す機会を間接的に奪ったのかもしれない。震災がなかったとしても過疎化がすすみ、高校を出ると若者の多くが離れていってしまう町に、震災を機に都会から戻ってきた一人の青年のおかれていた真の状況を、我々は見ていなかった。

その後彼は、我々の起こした会社を辞め、県庁所在地にあった転職先も辞めた。最後に会ったとき、彼は故郷にほど近い町の、ある現場で働いていた。彼は、軽トラにのって、明るい顔で颯爽とやってきた。仕事が楽しいと言っていた。少しふっくらとして、以前よりずっと健康そうだった(我々とともに働いていたとき、彼は不健康に痩せていた)。しかし、その後、その現場も上司ともめてやめたと人づてに聞いた。

被災地に通った数年間。自分の非力さを思い知り、苦い思いが残った。せめてその経験をいつまでも忘れず、これから誰かを少しでも幸せする術を考えていきたい。考え続けていきたい。




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